| ○ 原爆の後、地獄のような街を見てどう思いましたか |
| 松原:自分は被爆後、床に伏せており、顔を包帯で覆っていたので、周りが見えず、遠巻きに閃光やおびえ声などで、周囲を慮っていました。7か月のち、外の景色をみて、なんで戦争を、原子爆弾を落とされたのか、と悔し涙がでました。 |
| ○ 戦争中の食べ物はどのようなものでしたか。どうしていましたか。 |
| 松原:こんなものでも食べられるのかと思うようなものでも、何でも焼いたりして食べました。鉄道草なんてものは硬くてとても食べられなかったけど、それでも食べました。田舎に買い出しに行くこともありました。 |
| ○ 松原さんの家族は被爆等どうですか。 |
| 松原:私の家族は、父は警報団員(けいぼうだんいん)で市内に火消しをしてから、10年もたたずにガンで亡くなりました。兄夫婦がやはり、早く亡くなりました。残された3人の子供を私が引き取り、育て上げました。 |
| ○ 今の日本にとって、軍人は必要だと思いますか。 |
| 松原:軍人のいらない日本は本当に幸せな国だと思う。外国は軍人がいる国ばかりだから。 |
| ○ 原爆が落ちてくる前と後の気持ちはいかがでしたか。 |
| 松原:原爆が落ちる直前まで、平和ではないにしても、毎日周りの人と幸せに暮らしていました。それが、原爆が落ちた瞬間、地獄に変わり果ててしまいました。実際、今でも、ガンにおびやかされる毎日です。 |
| ○ 原爆被爆後、毎日何をしていましたか。 |
| 松原:被爆直後から、7か月寝たきりでした。動けるようになって、母親の炊事の手伝いをさせてもらいました。芋のつるを食べれるようにして、夜、家族に食べて貰えた時、私は、自分でも役に立てたとうれしくなりました。 |
| ○ 実際の戦争と、自分で思っていた戦争は違っていましたか。 |
| 松原:こんなにひどいものとは思いませんでした。本当にこの世の終わりのような光景です。 |
| ○ どうやって生き延びることができたんですか。 |
| 松原:とにかく食べないとと母親や、友達や周りの人が、私に食べ物を与えてくれました。そのおかげで生き延びれたんだと思います。 |
| ○ 黒い雨って何ですか。 |
| 松原:黒い雨の中には、放射能を含んだ塵やほこりが、含まれているんです。 |
| ○ 川のようすはいかがでしたか。 |
| 松原:当時、川の中には、爆風で飛ばされたがれきや、死体でたいへん汚れていました。きれいになるまで、何十年もかかりました。 |
| ○ 原爆の落ちたときの音はどんな感じの音でしたか。 |
松原:衝撃波(爆風)は、台風の10倍440メートルの風で、音は、ピュードガーンという炸裂した音でした。
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