(4)放射線による影響

原爆の特徴は、普通の爆弾では起こらない放射線の影響によって人体に大きな被害が加えられたことです。広島に落とされた原爆の放射線の影響は爆心地から半径2、3キロ以内、特に900メートル以内にいた人に致命的な影響を与え、その多くは数日以内に亡くなりました。
 また、爆発後市街地が大火災になるとともに、強烈な火事嵐や竜巻が起こり、市の北西部の地域に「黒い雨」が降りました。この黒い雨の中には放射能を含んだススやホコリなどの放射性降下物が多量に含まれていたため、遠い所にまで放射線の影響が及びました。
 爆発後には、長時間にわたって地上に残留放射線が残り、直接には被爆しなかった人でもその影響を受けた人もいまし

▽放射線の脅威

放射線は血液の変質を引き起こし、骨髄などの造血機能を破壊しました。また、肝臓など内臓などにダメージを与え、多くの人々の生命が奪われました。また、爆心地から2キロ以内では原爆投下後2週間にわたって、高レベルの残留放射能を地上に残しました。このため、直接には被爆しなかった人でも、その後この地域に入ってきた人の中には残留放射線の影響を受け、直接被爆者と同じような症状が表れ、亡くなった人もいます。

【写真】脱毛、歯ぐきからの出血、皮下出血の紫色の斑点(はんてん)が現れた兵士(木村権一さん撮影)
 

■抜けた髪の毛(山下博子さん寄贈)

山下博子(やました・ひろこ)さん=当時18歳=は、6歳の弟と爆心地から800メートルにあった大手町の自宅1階で被爆しました。被爆後、2人はなんとかメチャメチャになった家の外に出ようとしました。彼女は体に37カ所もけがをしましたが、幼い弟は無傷でした。無傷だった弟は、21日まで元気にしていたのですが、突然高熱を発しました。たくさんの髪の毛が抜け落ち、その後激しく吐血(とけつ)し亡くなりました。
 それからまもなく、お母さんが博子さんの髪をとかすと、いとも簡単に毛が抜け落ちました。当時の人は、髪の毛が抜けることは死が近いことを意味すると言っていたので、博子さんは弟と同じ運命なのだ、とあきらめていました。しかし、博子さんはその後驚くべき回復を見せ、後遺症に苦しみながらも47年に結婚。彼女の髪もだんだんと元どおりになっていきました。
  何度か外科手術を受けましたが、彼女はいつも「弟の短い人生を償うためにも、一生懸命生きなければ」と勇気を出して生きようとしています。 

【注】放射線は、髪が伸びるための機能も破壊しました。放射線の影響を受けた被爆者は第2週目から髪の毛が抜け始め、中にはすべて抜け落ちてしまう人もいました。
 

■黒い雨

 原爆の爆発後、午前9時くらいから爆心地から北西の広い地域で、黒い色をした雨が降りました。雨は激しく1時間かそれ以上降り続きました。爆発の時巻き上げられた泥やちり、大変な火事によってつくらた黒いすすなどを大量に含んでいたので、「黒い雨」と呼ばれました。油っぽく、ねばねばした上に、それには放射能を帯びた放射性物質が含まれていました。放射能を含んだこの雨を浴びて、原爆による症状が発生し、亡くなった人もいます。 

【写真】黒い雨の痕の残る白壁

▽後遺症の苦しみ

放射線の影響は被爆後すぐに表れただけでなく、その後長期にわたってさまざまな障害を引き起こしました。原爆被害の影響は特に、この長期にわたる後遺症が大きな特徴として知られています。放射線の影響は、体内に取り込まれた放射線が年月を経て何を引き起こすのか、50年以上経過した現在でもまだ十分に解明されていません。被爆者はこれらの後障害で今なお苦しみ続けています。被爆してから2、3年から10年たって白血病やガンなどのさまざまな病気が発生し、被爆者の健康を今もなお、むしばんでいます。

■少女の腕や背中のケロイド(米軍撮影)

原爆の熱線は人間の体を直撃し、やけどを負わせたのと同時に放射線が皮膚の内側の組織を傷つけ、表面にケロイドをつくりました。傷がいえた後でも、やけどで膨れ上がった傷あとは残りました。

<メモ>ケロイド
  やけどは皮膚が再生して傷をおおって、傷あとを残して治りますが、ケロイドはこの傷あとが過剰に再生して不規則な盛り上がりができた状態を言います。1946(昭和21)年ごろから、いったん治ったと思われたやけどの後の皮膚や肉が盛り上がり、皮膚のひきつれが表れるようになりました。
  ケロイドの発生は、爆心地から2キロメートル前後までの地域で、熱線の直射によるやけどを負った人たちの50-60%に現れました。ケロイドは傷あとだけでなく痛みとかゆみをともない、被爆者に肉体的にも精神的にも苦痛をもたらしました。
 また1955年、ケロイドやひどい傷跡を負った25人の若い女性が形成手術のためにアメリカに渡りました。それらの女性は「原爆乙女」と呼ばれるようになりました。

胎内被爆(小頭症)

被爆は、お母さんのおなかの中にいた胎児にもいろいろな影響を及ぼしました。胎児の死亡などの例もありました。無事に生まれてきた子どもも、乳児期を過ぎても他の子供に比べると、高い死亡率でした。胎内被爆児の中には、頭部が特に小さく、小頭症と呼ばれる状態の人も見受けられ、その障害の程度が強かった場合には知能発育の遅れを伴いました。