広島・長崎の想いを世界の願いに

2008年9月8日から11日の間、ノルウェーの国立ヴォルダ大学講師の倉典暁氏をはじめ同大学、ヴォルダ市民のみなさんのご尽力で、同大学主催の原爆展とセミナーに参加できることができました。

 広島からは、私のほか、広島平和記念資料館長の前田耕一郎氏や放射線影響研究所主任研究員の中村典氏、音楽家・おおたか静流氏ら10人で参加しました。

 原爆展では、展示されていた写真パネル48点がかつて見たこともないほどよく編集されていて、製作者の方々の平和への熱意がよく伝わってきました。大学での開会式の後、ヴォルダの教会でメモリアルコンサートが催され、その最中には原爆の恐ろしさと平和の尊さを描いた木下漣三、小夜子夫妻作のアニメーション映画『ピカドン』が上映されました。

翌日のセミナーは私の被爆体験講話から始まりました。ノルウェーの方々は、私の想像以上に平和意識が高く、私の話を大変熱心に聴いてくださいました。講演会後、同大学ジャーナリズム学科の学生が5人ほど、私を取材しに来ました。学生たちは、カメラを据え、イランの核問題に対する広島の見解、核の平和的利用、原爆投下についてなど、熱心にインタビューしてきました。私は、セミナーの前日と前々日にも、現地の中学校、高等学校の学生たちに講話を聞かせました。結局、中学生、高校生、大学生など延べ700人ほどに、私の話を聞かせることができました。そして、国営テレビで、ノルウェー全体にも放映されました。

講演会では、日本側からは、私が被爆体験談を、前田館長が資料館の紹介を、中村研究員が放射能の影響について話をしました。一方、ノルウェー側では、ノーベル協会会長ゲイル・ルンデスター氏が、「原爆はなぜ1945年に使われたのか」と題して、原爆投下の歴史的背景を、ノーベル委員会委員長オーレ・ダンボルト・ミョース氏が、「ノーベル平和賞と核兵器に対する戦い」と題して、意義とこれからの課題について話をされました。現地語でしたが、日本語字幕をつけてくださっており、話の内容が、よく分かりました。

 ミョース氏は、最後に「あなたがたは、広島、長崎での極まりなく恐ろしい惨状を、世界中の人々に伝えるだけではなく、二度と繰り返してはならないという意識を育むことにも大きく貢献しています。あなた方が経験されたような苦しみを、この世界中の誰にも経験させたくありません。その想いを伝えていらっしゃるあなた方を、世界中の人々が誇りに思っています。私は、委員長として、あなた方への感謝の気持ちでいっぱいです!また、これからも、今から生まれてくる人々のために、平和活動にご尽力ください。世界中のみんなの力を合わせれば、核兵器のない平和な世界を作れます。」と、広島・長崎の被爆者を思いやり、励ましてくださったことが、私は、一番心打たれ感激しました。

 そして、もう一点驚いたことには、私の被爆体験を話す様子を首都オスロのテレビ会社が、インターネットに載せたところ、ノルウェー国内から50通余り質問が寄せられ、私は、その取材に応じるため、予定していなかったはずのノルウェー訪問を再度することになりました。