戦争の加害・被害

NO.8日本の戦争責任は?受信日:1998.9.26国名:アメリカ整理番号:00061
 日本の無条件降伏により第二次世界大戦に終止符が打たれたとき、私はまだ7才半だった。しかし、そのころのことは今でも鮮明に覚えている。なぜなら、父方の叔父がバターンで日本軍の捕虜となり、かの有名な「死の行進」に耐え、日本本土での捕虜生活から逃れたからである。その事実に加え、もう一人の叔父が、ETOでのBulgeの闘いで負傷したということが、素人の観点から歴史研究に一生をささげようという私の決意を促した。現在進めている研究を通して至った私の主張を以下に提示してみたい。

1.日本は南京を侵略したが、私の知る限り、その大虐殺の卑劣(ひれつ)な事実について、日本は謝罪をしていない。

2.日本は真珠湾を襲撃したのであり、その結果、アメリカを第二次大戦に引き込んだ。

3.私の知る限り、日本はいまだに一度も、太平洋戦争を始めたことを謝罪していない。

4.戦時中、日本の指導者が出した声明を読んだが、その中には、日本がアメリカに打ち勝つことができれば、アメリカ本土でしかるべきことを行う旨が記されていた。

5.日本の国民性や、占領下におかれていた国々や国民への日本軍の行為を研究していった結果、もし日本軍がアメリカ本土へ進行していたならば、何が行われたかは想像 できる。

6.私の叔父より、捕虜生活時代、叔父自身や兵士仲間が日本軍から受けていた扱いについて聞かされてきたゆえ、我が国、アメリカ国民もフィリピン人と同様に悲惨な目に遭わされていたに違いないと思う。

7.日本軍の占領下におかれた一般庶民の受けた、残虐非道な行為は、言葉で言い表すことはできない。私の知る限りでは、これらの事実について日本からの公式な謝罪はない。

8.それゆえ、当時の大統領を含め、アメリカ軍の指導者層がくだした原爆投下の決定は正当なものである。そして、あの二つの原爆によって、天皇は本土上陸によってさらに多くの犠牲者を出すよりも降伏する方が賢明だと考えたのだ。

9.アメリカには原爆投下について謝罪する理由など、まったくない。

10.仮にも、アメリカに謝罪せねばならぬ具体的な理由があったとしても、そうした理由は、日本が戦争を始めたことに対する謝罪をしていないという事実でもって拒否されるであろう。

11.それゆえ、私は、日本軍がとる最初の一歩とは、彼らが戦争を始めたという事実と正面から向き合うことであると提唱する。そうすることで、彼らが長年生み続けてきた罪のいくつかは清算できるであろう。

12.最後に、戦時中の日本の指導者層の行動を研究してきた私は、もし日本が原爆を開発し、その運搬システムの能力をもっていたならば、できるだけ早くその原爆を使用し、世界を征服し、その勢力下においた全てのものに、彼らの生活様式を強制していただろうと考える。

 もし、私の意見に反対するならば、それはそれで構わない。あなたの反対意見を述べていただきぜひとも議論したい。

 もちろん、核兵器が二度と使われることのないよう私は望んでいるが、もし他国がそれを用いてアメリカを攻撃しようとしたり攻撃した場合は、我が国の指導者が逡巡(しゅんじゅん)なく報復措置をとるよう望む。とりわけ私たちは、そうした兵器を最初に使用するような国/国民ではないことを付け加えておく。
 心から世界平和を望む。

NO.(8)非人道的な過ち 原爆正当化は別問題返信日:1998.12.21返信内容整理番号:00061
 侵略戦争とそれに伴う残虐行為、捕虜に対する虐待などについて、私も心を痛めていますが、あえて言わせていただければ、捕虜虐待については、日本兵の中にも捕虜として虐待を受けたと訴える人たちが多数います。数十万の日本兵が戦後、旧ソ連・シベリアに捕虜として抑留され、過酷な労働を強いられて多数亡くなったことは、歴史を学ばれているあなたならよくご存知かと思います。日本軍国主義の過ちは過ちとしながらも、戦争が人間を狂気へと追いやってしまう側面も直視し、戦争絶対否定の意思を世界中の人々が強固にしてほしいと願うところです。

 日本がアメリカ本土へ侵略していた場合、そして、日本が原爆を開発していた場合のあなたのご見解については、仮定の話なので返答するのが困難ですが、少なくともあなたにそのような恐怖感を抱かせるほど、戦争中の日本軍の行為が非人道的だったということは認めざるを得ません。ただ、多くの日本人があの戦争を反省し、戦後間もない時期に、軍事力の永久放棄と不戦をうたった平和憲法を制定したことも心にとどめていただければと思います。

 以上が私の見解ですが、ただ、だからといって原爆投下を正当化しないでください。アメリカが核攻撃を受けたら、核兵器で報復することを求めるなどとは言わないでください。

 核兵器が国際法に違反する兵器であることは、国際司法裁判所が1996年、国連総会に出した勧告の中で明確に指摘されています。私たちも過去の原爆投下を非難するのみではなく、再び核兵器が使用されることのないよう、人々に訴えるためにホームページを開設しました。戦争で核兵器が使われ、核兵器で報復するような事態になれば、それは地球と人類の終焉(しゅうえん)を意味することを、ヒロシマ・ナガサキは教えています。そのような事態を避けるためには、この地上から一切の核兵器をなくすしか道はないのです。

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NO.7日本人は目をそむけている受信日:1998.9.25国名:アメリカ整理番号:00058
 長く続いていた戦争の終結を早めるため、そして両国の犠牲者数を減らす為に、原爆投下が不可欠であったと私がアメリカ人の立場から考えても驚かれることはないでしょう。この事実に対して、どんなに冷静な傍観者も反論することはできません。私は日本人の犠牲者としての主張を鎮めようと望んで太鼓をたたくのではありません。ただ、愚かで否定的な態度から、国家全体が解き放されるまで、太鼓の音が鳴り響き渡る必要があると考えているのです。

 1970年代の始め、私は日本の横須賀沖で水兵として駐屯していました。この基地を知る者はだれでもここが戦術上いかに重要であるか知っています。1973年にはまだ基地内やその周辺に掘られた広大なトンネル網が完全には封鎖されていませんでした。実際、その中に建てられた施設(蒸気発生施設など)もまだ使用されていました。また、この基地ではかつて小さな一人乗りの「かみかぜ人間魚雷」が製造され(洞くつの中で)、そして70年代当初ももまだ港に向かって延びたコンクリート製のエプロンが存在していました。

 話はそれますが、私がそこにいたころ、終戦から政府官庁に雇われていた日系二世のアメリカ人が、戦後の様子を私に語ってくれました。彼は実際そこでアメリカ占領期間中通訳として働いていました。彼はその後横須賀を去ることはありませんでした。私は洞くつの調査を進めながら、ノートを取っていました。彼はすべての洞くつが大戦直前に韓国強制労働者によって掘られたものだと語りました。彼はまた、すべての洞くつ堀り計画が完了したとき、韓国人たちは最後にもう一つの穴を掘るよう命じられ、その中にすべての者が埋葬されてしまったと言いました。
   
 その埋葬が行われた場所は基地のなかにあるということでしたが、彼はそれがどこなのか教えてくれませんでした。横須賀海軍基地は2000人の韓国強制労働者の墓石のない墓地だったのです。私は彼らを「犠牲者」と位置づけます。

 その後、何年かたって私と私の妻がカリフォルニア南部に住んでいたころ、多くの日本人交換留学生を受け入れました。ある晩、学生たちは第二次世界大戦中の南太平洋の様子を放送していたPBS局にテレビのチャンネルを合わせました。この若者達が見せた驚嘆と動揺を目の当たりにした私は驚きました。。この話題はそう、日本ではタブーなのです。アメリカの太平洋戦劇への参加の様子は彼らに取って苦痛であり、また、そのような彼らを見ることは私にとっても哀れむ出来事でした。

 私はパールハーバーのことを二人に尋ねました。二人とも困惑した表情で、「パールハーバーって何ですか」と聞き返してきました。彼らは私の説明を疑うように、信じられない様子で聞いていました。ことわざで「見ようという意思のない者が最も盲目だ」と言います。しかしこれはもちろん他人から目隠しされてしまった者は除きます。日本は自国民に目隠しをし続ける罪を犯しているのです。

NO.(7)過去を伝える努力必要返信日:1998.12.21返信内容整理番号:00058
 戦前・戦中の日本の非人道的行為はご指摘の通りです。当時の日本が朝鮮半島や中国から多数の人々を日本国内に強制的に連行し、軍需産業や炭鉱採掘、土木建設などの作業に従事させていたことについて弁解の余地はありません。それらの人々の間で多くの犠牲者が出たこともよく知っています。広島・長崎の原爆投下でも朝鮮半島出身の人々を中心に、大勢の外国人が犠牲になりました。そのような残虐な事実に対して、私も同じ第二次世界大戦の戦争犠牲者としてやり切れぬ思いです。

 しかし、当時、女学校1年生で12歳だった私に何ができたでしょう。軍国教育の中で、戦争に疑問を抱くことなど許されず、日本の行った非人道行為については知る由もありませんでした。私たちを無知と誤った方向へ導いた教育の怖さを思い知らされます。

 あなたは、ホームステイしていた日本人交換留学生の無知さが、「目隠しして教えない」という今日の日本の教育から生まれたものだとおっしゃっていました。私はすべての日本人の若者が戦争について無知だとは思いませんが、残虐な戦争を再発させないために、過去の事実を正確に伝える努力をもっとする必要はあると思います。私たちも核兵器の恐ろしさの事実を世界の人々に伝えるため、ホームページを開設することにしました。もし、すべての人々がこの事実を知ったら、核兵器を憎み、地球から核兵器は無くなるでしょう。

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NO.6従軍慰安婦問題も意識する必要受信日:1998.8.6国名:アジア整理番号:00048
 第二次大戦中、日本帝国軍が行った残虐行為について復唱する必要はないかも知れませんが、女性として、あなたは日本軍が犯したレイプ犯罪(従軍慰安婦)について、もっと意識するべきです。何十万という中国人、韓国人、そしてフィリピン人女性が日本兵に強制的に性の奴隷とされたのです。その内の多くの女性は、現在生き長らえている者でさえ、その魂を葬り去られてしまいました。

 今日まで、日本政府がその過去を清算していない為、私は日本が再び軍国主義化するのではないかと危惧(きぐ)の念を抱いています。事実、“中国領”のDiaoyu島事件や、日本の右翼の力の強大化は、Santayana氏の次の言葉を連想させます。「過去の過ちを忘れる者は、必ずそれを繰り返す」ですから私は、日本に再び中国が侵略されない為にも、中国に核兵器を保有してもらいたいと思っています。

 戦争は悪です。しかし、まずは足元-つまり自分の国から変えていかなくてはなりません。その意味で、あなたは、日本の軍国主義が再び台頭せぬよう監視しなくてはなりません。そのことを日本政府に訴えるべきです。

 “何事を成し遂げるにも不可能なことなどない”

NO.(6)政府に賠償求める決意返信日:1998.9.20返信内容整理番号:00048
 あなたがおっしゃるように、私たち日本人が、日本政府に対して、もっと強い態度で望むべきだという主張は、まさにそのとおりです。 私たちの力不足を大いに反省しています。

 被爆者に残された時間は、もうそう長くはありませんが、日本政府に対して、あの戦争への反省と謝罪、それにもとづく賠償をきちんとするよう、今度とも求め続けていく決意です。

 日本は第二次世界大戦で、国内はもとより多くのアジア諸国などに多大な犠牲者を出しました。その反省として非武装の憲法九条が生まれました。

 「平和憲法は私の命」を信条としてきた私は、戦争と原爆の実体験を一人でも多くの人に語れるよう努めてきました。また、九条が改憲されないよう努力することも、生き残った私の償いと責務と思って、改憲反対の市民集会に参加しています。これが、あなたのおっしゃる「日本の軍国主義が再び台頭せぬよう監視」していく行動の一つであると確信しています。

 しかし、その一方で、あなたがおっしゃった、日本の再軍国主義化による中国への侵略を防ぐために、中国に核を保有してほしいというご意見には賛同しかねます。原爆の恐ろしさを身をもって知る一人として、核を再び人類に使用すること、それ以前に、核を保有することには断固反対です。

 また、あなたは「過去の過ちを忘れる者は必ずそれを繰り返す」という進言を引用されました。その過去の過ちを繰り返さないために私たちが取り組まねばならないのは、核兵器を保有することではなく、戦争を起こしたり核を使用したりする、人間の心にひそむ魔性の生命をかえていくことです。

 私は、教育こそがその重要な役割を果たすと考える一人です。平和行動を促す教育 - 平和教育が大切であると思います。

 すべての国が、過去の過ちを反省し、国際法に基づき、正当な補償をすると共に、核の悲劇を二度と繰り返さないためにも、お互いが、それぞれの立場で頑張っていきましょう。

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NO.5すべての戦争犠牲者網羅して受信日:1998.8.6国名:カナダ整理番号:00047
 松原さんは、毎日数え切れないほどたくさんのメールを受け取られているかもしれませんが、あなたのホームページを拝見し、私もあなたに話さなくてはならないことがある!と思い筆をとりました。

 核兵器の廃絶、そして世界平和の為に、その人生をささげ闘っていらっしゃる人(なかんずく松原さん)に、私は最大の敬意を表します。しかし、私は、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下に対しては複雑な心境を持ち合わせています。私は香港で生まれ育った、中国系カナダ人です。私の太平洋戦争に関する認識は、子どものころ、すなわち、人格形成期に見聞きしたものです。私は今もって、多くの人命を奪い、その脅威が語られることのなかった紛争について関心をもっており、それゆえ、これまで、この問題についてかなりの量の書籍を読んできました。そこで、いくつかの難問について、あなたと考えてみたいと思います。

1.原爆投下は必要だったのか?

 東洋人として実用主義的アプローチにより、道徳的ジレンマの解決をはかりたいと思います。原爆に関しては、その原爆こそが人命を救ったということに疑念の余地はありません。個々人の見解や、軍部が公表する数を信用するかどうかによって意見が異なってくるでしょうが、米軍が日本に上陸し、本土決戦になった場合、どれだけのアメリカ人/日本人の犠牲者がでていたか議論する必要もないでしょう。アメリカ人が自国兵士の命を第一に考えるのは当然なことであって、日本市民の犠牲などまったく頭にはなかったはずです。(終戦数ヵ月前の、日本の主要都市への爆撃を思い起こしてみてください。それに対して、だれが遺憾に思っているでしょうか?)残酷に聞こえるかもしれませんが、原爆によってたくさんの人々が亡くなった一方で、それ以上の人の命が現実に救われたはずです。それが文明の土台なのです…。

2.事の始めは一体誰が?

 ネット上で、アメリカ人の見解を興味深く読みましたが、彼らは日本こそが太平洋戦争を始めた野蛮な体制国家であり、それゆえ(原爆投下に対し)同情される資格などない、と大変憤慨していました。私の意見としては、もし日本が真珠湾攻撃をせず、戦争をしかけなければ、アメリカやイギリス、オランダは、1931年の満州事変をはじめとして、それ以後の、中国に対する語られることのない残虐行為には目をつぶって参戦しなかったのではないでしょうか?私の知るところによれば、帝国戦争の火種となった石油や金属くずはただで日本に輸入されていました。イギリスは、日本を怒らせないために、中国への唯一の物資輸送路であった、インドシナにあるback roadを閉鎖することさえ決断したのです。(そのころすでに、すべての商港は日本の手中にありました)これはまさに、中国のことわざで言われるところの“to drop a stone on someone who is inside a well”です。日本がインドシナに侵略の手を広げ、西側諸国に利害関係のある領土を脅かし始めたからこそ、それら西側諸国は、日本に警告するため、石油禁輸を行ったのです。極東における西側諸国の植民地利益をだまって見過ごすのか、賭けに出るか、の選択でした。悲しむべき事に、1940年代に流布していた思想は、「もし銃を手にしていれば、だれもが世界を我が物にできる」というものでした。日本人にとっては、白人の植民地政策と黄色人の植民地政策は同じものでありましたが、事実は歴史が証明するように、黄色人の植民地政策の方が、白人のそれとは比較にならないくらい残忍なものでした。

3.さらに責めるべきことがあります。一体だれが、人体を使って秘密裏に細菌戦を行った、あの悪名高き731部隊の高官に悪行を吹き込んだのでしょうか。その者たちは、人間の姿をした悪魔に情報を収集させ、見返りにその罪に目をつぶったのです。その者たちこそ、アメリカ人によって送り込まれた占領軍なのです。

4.悲しいことに、戦後間もなく、中国人は内紛に明け暮れていました(国民党対共産党)。だれ一人として、彼らが置かれている混乱状況に目を配る者はいませんでした。両体制の中に残虐行為はなかったと思われるのでしょうか。目を覚ましてください!国の近代化の名の下に誤った方向へ導かれ、どれだけの中国の民が苦痛を味わったことでしょう。文化革命により、何百万という人々が混乱に陥り、再教育プログラムの名の下で命を奪われ、国全体が崩壊したのです。

5.最後に、ヒロシマ上空で破裂した、目もくらむばかりの火の球により、死に追いやられた少女ー捨てられた人形のようなボロボロになった布きれさながらに皮膚がはがれた姿ーその少女の写真を見ると、はじめは悲しくなりなりました。しかし、南京大虐殺(1939年)の惨劇:ワイヤーで縛られ、生きながらにして焼き殺される市民、赤ん坊を抱いたまま、銃剣でくし刺しにされる母親、これらを思い描く時、これ以上私の心を揺さぶるものはありません。戦争は地獄です。あなたのホームページが、すべての戦争犠牲者を網羅したものになれば、より影響力のある、バランスのとれたものとなることでしょう。

NO.(5)無差別殺人繰り返さぬよう英知結集返信日:1998.10.10返信内容整理番号:00047
 原爆投下を、「日本の侵略戦争の結果であり、原爆投下は当然の報い」と考える人たちがいることは知っています。確かに、旧日本軍がアジアの人たちに対して行った非道行為については弁解の余地もありません。

20万人とも30万人ともいわれる人たち(実際、推定数には3万から45万までの幅がありますが)を殺した南京大虐殺。中国東北部の村の住民の大半を虐殺した平頂山事件。「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくした」三光作戦。中国の人々を人体実験に使った731部隊の細菌兵器開発。中国大陸での毒ガス兵器使用…。旧日本軍が行ったことは、人間としてとても許されることではありません。犠牲になった人たちのことを思うと、同じ戦争犠牲者として、また一人の日本人として胸が張り裂けそうです。

 私は今、広島を訪れる若い人たちに被爆体験を語る活動をしています。その際、私は心からの謝罪の気持ちを込めて、必ず旧日本軍が行ったそれらの加害行為にも触れています。その気持ちは生涯背負いつづけるつもりです。

 しかし、前述した、「原爆投下を日本の侵略戦争の結果であり、原爆投下は当然の報い」と考える人たちに対してわたしが言いたいのは、そこで議論を終えてはならないということです。なぜなら、原爆は日米間の問題であって、原爆投下は、無差別大量殺人という意味で、アメリカの戦争犯罪になります。一方、日本の侵略戦争は、日本とアジアの問題であり、これも無差別大量殺人ということで、日本の戦争犯罪問題です。こうした問題を「因果応報論」で片づけてしまってはなりません。また、原爆投下は、日本の侵略行為のためであるとか、真珠湾攻撃のためということで片づける論議は、相手を非難して、自分を正当化する「相対論」であり、罪のなすりつけ合いで果てしがないばかりか、何の解決も、そして何の発展もありません。

 私があなたのメールを読んで感心したのは、あなたはとてもよく勉強されているということ、そして、原爆が多くの人命を救ったという「道徳的ジレンマ」があるという考え方や、日本が真珠湾を攻撃しなければ、アメリカやイギリスは、日本の侵略行為には目をつぶり、参戦しなかったという考え(それらが事実であるか否かは別として…)など、とかく多くの人々が主張する意見に加え、731部隊を助長させたアメリカや、文化大革命によって自国に負の遺産をもたらした中国についても主張されている、ということです。つまり、関係当事国のどれか一つを取り上げてその非を責めるのではなく、それぞれがそれぞれに反省すべき点をもっている、ということを明らかにされています。

 ですから、どちらが悪いと議論するのではなく、今後人類が、原爆投下や侵略による無差別殺人という脅威を二度とくり返さないためにはどうしたら良いのか、その解決をはかるための英知を結集させる作業をしていかねばならないと思います。そこにはまず、正しい歴史認識に基づき、関係当事国が反省し、正当な補償をしていくことが必要になってくるでしょう。こうした政治的な流れにもっていかせるためには、下からの動き・民衆の声が不可欠です。その意味で、私たち民衆がもっと賢くなっていかなくてはなりません。また、偽政者に、二度と間違ったことをさせないという民衆の監視と働きかけが大切です。だからこそ、私は私の立場で(被爆という核の恐ろしさを身をもって知る一人として)核廃絶の為に行動しているのです。

 ここでもう一つ、核兵器という問題にしぼって訴えたいことがあります。それは、原爆投下を単なる戦争行為としてだけでとらえてはならない、ということです。広島、長崎の原爆投下によって、人類は核時代という「破滅の時代」の扉を開けてしまったのです。この核兵器の影響で、私たち被爆者は、一日として癌の恐怖から解き放されたことはありません。実際、毎年多くの被爆者が、癌(がん)に亡くなっているのです。

 そのような後遺症を引き起こす核兵器が、核保有5ヵ国全体で3万数千発にものぼります。そして、それらの核兵器は、広島に投下された原爆の何百倍、何千倍もの威力があります。その破壊力は、広島の被害状況から推定すると、地球上の全人類を数度殺りくできるほどだそうです。ですから、戦争で再び核兵器が使われるようなことになれば、人類には絶滅しか残されていないのです。

 そこには、勝者も敗者もありません。加害も被害もありません。無があるだけです。その意味で、ヒロシマ・ナガサキは加害・被害の概念を越えた悲劇体験であり、人類はヒロシマ・ナガサキから未来を生きるための教訓を学びとらなければなりません。

 核兵器をこの地球上から一掃しない限り、人類に明るい未来はない、こう思うからこそ、私は核兵器廃絶のために立ち上がったのです。

 残念ながら、やりたいことがまだたくさんあるのですが、残り少なくなった時間と体力に限界があるため、現在の私のホームページに、これまでの戦争犠牲者のすべてを網羅することは割愛させてください。ただ、あたなのご意見、つまり、バランスのとれた内容にするということは、ごもっともなことだと思います。その代わりとしては何ですが、私が席をおいている“WWW原爆博物館”のページの一角に、南京大虐殺についてのものがございますのでぜひご覧になってみてください。
(http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NM.html です)

NO.5-2お礼受信日:1998.10.14国名:カナダ整理番号:00047-2
 お返事ありがとうございました。たくさんのアクセス者からのメールの対応にお忙しくしていらっしゃると思っていましたので、このようにお返事をいただけるとは夢にも思っていませんでした。
松原さんが、原爆の残虐性や一般的な戦争の話をどのように人々に伝えていらっしゃるのか、伺い知ることができ、とてもうれしく思っています。

 松原さん、あなたは「価値ある理想のために命をささげる人に大いに敬意を表する」という私の思いを一層強固なものにしてくれました。

 人々に真実を理解してもらうために、やらなければならないことはまだまだたくさんあり、心を悩ませていましたが、松原さんの存在を知り、世界を変えていくことができる人々もいるのだとわかり、勇気づけられました。

 どうか、その信念を持ち続けてください。いつまでもお元気で!

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NO.4朝鮮人の犠牲 忘れてはならない受信日:1998.6.16国名:カナダ整理番号:00024
 私はカナダにあるビクトリア大学の学生です。これまで平和に関する研究課程をとり学んでまいりました。私は中国人の家系に生まれました。私は戦争について学び、深い悲しみを覚えましたが、なかでも日本人による南京大虐殺や、日本人がいまだアジアの人々に対しても本当の意味での哀悼の意を表すことができていない姿を見て胸のつまる思いがします。

 日本では戦争で亡くなった兵士達を犠牲者としてとらえて、毎年彼らをたたえ、記念の碑を建てていると聞きましたが、これはまさに彼らの手によって命を絶たれた犠牲者達の顔を“平手打ちすること”と同じ意味なのではないでしょうか。わたしは日本は本当にすばらしい国だと思います。しかし、この点についてはいまだ自らを十分に見つめることができずにるようです。

 日本人は決してあの原爆を忘れないでしょう。しかし、その一方で日本人の手によって犠牲となった人達の死はいったいどうなるのでしょうか。実は、私が本当におうかがいしたいのは、長崎(あるいは広島だったかも知れませんが)に強制連行させられた多くの朝鮮人達のことです。原爆が落とされた時、数多くの朝鮮人が亡くなったことを知りました。また、在日朝鮮人の方々が亡くなった朝鮮人達の碑を長崎(あるいは広島)の平和公園の敷地内に移してくれるよう頼んだところ、そのような場所はもう残っていないとして拒否されたと聞きました。しかし私の知り合いで、実際にその平和公園を訪れた人がいますが、彼によれば、公園の敷地は非常に広いそうです。在日朝鮮人の方々が拒否された理由は全くのウソではなかったのでしょうか。亡くなった朝鮮の人々の碑が永遠に公園の敷地内に入ることはないのでしょうか。

 私はこれまで日本について多くのことを学びました。そして今でも日本はすばらしい国であると思っています。いかなる社会にも“欠点”というものがありますし、それは悲しむべきものですが、私はとりわけ日本の社会にある“欠点”に対しては非常に胸の痛む思いがします。

 私は原爆投下が必要だったとは思いません。しかし、この背景には新しい理論があり、それは、ロシアが宣戦布告をして日本がロシアに降伏してしまう前にアメリカが原爆を投下し、戦争を終結させたかったというものです。また連合国の間でドイツが降伏して一週間後に宣戦を布告するという合意事項があったということです。このことからも私は原爆投下はまさに共産主義国と資本主義国の延長戦だったのではないかと思うのです。

 私は原爆が二度と使われることがない様に願います。戦争によって多くの日本人が亡くなったことを本当に悲しく思います。そしてさらに将来、日本人が苦しみを味わうことがない様に望みます。

 *日本の学校では教師はヒロシマと核の問題を、どのように扱っているのですか?
  またどのくらい掘り下げて教えているのですか?

   カナダの教育制度は非常にすぐれていて、私たち生徒はこの問題について高校で何度も議論を交わしました。

 *平和な世界を築き上げていくためには何が一番必要だと思われますか?

   私が信ずるに真実こそが人々を自由に解き放ち、国家間の真の信頼と理解を築き上げていくものだと思います。

 *世界平和を実現していくうえで、ヒロシマの役割はどういったものだとお考えになりますか?

   広島の原爆投下は悲惨極まるものですが、しかしそこから見える希望の光を見失ってはいけません。

 私が思うに、もし広島への原爆投下がなかったなら、この地球上ではもっと核兵器が製造されていたのではないかと思います。世界が決してヒロシマ・ナガサキを忘れないことを強く望みます。命はかけがえのないものですが、日本は他国と同様、その高い代価を払ったと思います。

 平和を!

NO.(4)日本軍の行為 考えなければ返信日:1998.12.6返信内容整理番号:00024
 ホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。あなたが平和について関心があり、一生懸命勉強されていることを大変うれしく思います。お返事が遅れましたが、あなたのご意見に返答させていただきます。

全国戦没者記念館

 まず日本では毎年、終戦記念日である8月15日に全国戦没者追悼式を行っています。これは、軍人や一般市民など戦争によるすべての犠牲者を慰霊するためのものであり、日本人のみを対象としている訳ではありません。今のところ、戦没者のための碑を建立するという計画はありません。参考までに、日本遺族会という団体が、戦争中に家族や親族を失った戦争孤児を記念して、来年の3月にようやく記念館を開館させる予定です。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑

 広島に原爆が投下されたとき、日本人以外にも多くの朝鮮人が被爆しました。彼らは日本に強制連行させられたうえ、非常に過酷な労働を強いられたのです。推定で約5万人の朝鮮人が被爆しました。1970年に在日大韓民国居留民団広島県本部(韓国側)の手によって、朝鮮人被爆者と朝鮮王朝最後の王 世子李根殿下の甥で、被爆当時、広島市内にあった第二総軍司令部付き教育参謀であった李=公殿下を悼む慰霊碑が建立されました。殿下が被爆され、発見された所の近くにその碑は建てられましたが、そこが平和公園内ではなかったために、韓国・朝鮮人に対する差別としてとらえられていました。1990年にようやく平和公園内に移設が認められましたが、その方法について(つまりは現存のものを移すのか、それとも韓国・朝鮮人犠牲者の新たな合同慰霊碑を建てるのか)は、まだ結論が出ていない状況です。

 原爆の犠牲者となったのは日本人ばかりではありません。朝鮮人をはじめとする多くの外国人が被爆しました。原爆が投下されたとき、なぜ多くの朝鮮半島の人たちが広島にいたのか、このことについて考えるとき、私たち日本人は戦争中、日本軍がアジアや他の国々の人々に対して何を行ってきていたのか考えなければなりません。

 人類は広島・長崎の原爆投下によって核の時代に入りました。今は必ずしも平和とはいえない世の中ですが、私たちは生きている以上、平和な世界を築き上げていかなければなりません。それは次の世代を担う人たちのために私たちが負っている義務でもあるからです。

 あなたが質問されている“平和な世界を築き上げていくためには何が一番必要だと思いますか?”の問いに、私は以下のように答えたいと思います。平和を築いていくためには核兵器廃絶や地域紛争の解決また、人口問題や環境問題などすべての地球的問題群に取り組んでいかなければなりません。しかし、何か一つを選ぶとすれば、それは私たち人間の心を教育・文化・交流・宗教などを通じて変えていくことだと思います。人間の心に平和の砦(とりで)が築かれずにどうやって平和な世界が築かれるのでしょうか?

 私たち一人ひとりが、人間の生命を重んじ、思いやりにあふれた平和の創造者でなければなりません。また、自分の利益のために人を傷つける人間ではなく、自分の幸福と同様、他人の幸福のためにも貢献していける“善”の人間でなければなりません。平和の創造者はどこまでいっても人間です。人の心に平和を築くことから始めなければなりません。

広島の役割

 これから広島が世界平和を築くために、核兵器廃絶のイニシアティブを取っていくことは言うまでもなく、生命を脅かす暴力や内戦も、断固“ノー”と声をあげていかなければなりません。

 戦後50年以上の歳月が経ち、ヒロシマはあの日から核廃絶の先導をとってきました。私たちは核廃絶、世界平和の思いを必ず後世の世代に伝え、二度と核兵器が使われることのないようヒロシマの心を伝えていかなければなりません。

( =は金へんに偶のつくりです。)

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NO.3日本軍の残虐行為 載せるべきだ受信日:1998.6.14国名:アメリカ整理番号:00023
 公平で、なおかつ釣り合いのとれたwebページにするためにも、日本の“太平洋戦争”の部分に、戦時中に日本軍によって行われた数々の残虐行為の内容も載せるべきだと思います。それにはたとえば、シンガポール、香港、マレーシア、中国、アメリカへの攻撃および侵略行為、また日本兵の手によって、面白半分に赤ん坊が殺された南京大虐殺などが含まれます。またさらに731部隊による非道とも言うべき行為,一例を挙げるなら、中国の一般市民を使って、生きたまま行われていた生体解剖、生物兵器の開発、また強制収容所において連合軍の戦争捕虜を37%という高い割合で死にいたらしめた日本軍による虐待など、まだ他にも載せるべきことはありますが。

 もし戦争を終結させるために本土上陸が行われていたら、両陣営から出る犠牲者の数は、原爆投下による犠牲者の数をはるかに超えていたでしょう。

 また事実、戦時中日本の学校では、連合軍による本土上陸という最終局面に備えて、生徒達は武器を使った訓練を行っていました(つまり女性も子どもも総動員して、戦争に突入するという構えをとっていたのです)。さらに日本の女子生徒は、自分の身を投じて、自爆してでも相手の陣営に突っ込んでいく覚悟を持っていました。日本人の戦争への強烈な意気込みは、神風特攻隊を使ったことからもうかがい知ることができます。
   
 私はこれらの事実が、日本の学校では教えられていないということを聞いています。しかしこういったことは授業で教えられるべきだと思うのです。

 私はあなたがご自身のwebページにいま述べた内容を載せるべきだと思います。

NO.(3)罪の重さに心痛む 「核廃絶」に理解を返信日:1998.11.19返信内容整理番号:00023
 あなたがおっしゃることはよく分かります。ドイツ政府がナチス・ドイツの行った非人道行為に対して明確な責任を取っているのに対して、日本政府はサンフランシスコ条約、日韓平和条約等ですべて戦争の処理は終わったとして全く責任を取ろうとしていません。

 1996年に日本は初めて社会民主党、自民党、さきがけとの連立政権で構成された村山内閣のもとで反省と謝罪を表明しましたが、戦争被害の補償については「個人補償はしない」という冷淡な態度をとり続けています。日本人として非常に恥ずかしく思います。私たち日本人が日本政府に対してもっともっと謝罪と補償を行うべきだということを強く求めていかなければならないと感じています。しかしマイクさん。私はあなたのご意見に対してこのようにお答えしたいと思います。

あなたが言われるように、確かに日本は中国をはじめアジア諸国で戦争中ひどい侵略行為をしました。特に中国では三光作戦(焼きつくす、うばいすくす、殺しつくす)という非道なことをしました。731部隊は細菌兵器を開発し、中国の人たちを実験台にし、多くの命を奪ったそうです。たくさんの化学兵器を中国に持ち込み、兵器として使ったことも次々と明らかになってきています。人間としてとても許しがたい行為であり、日本人として罪の重さに心が砕ける思いです。

 でも、私はそういう日本の行為に深く心を痛めながらも、被爆者として言わなければなりません。核兵器は、それまでの兵器とは全く異なる意味を持っているのです。私は被爆者としてそのことを断言できます。アメリカが広島・長崎に原爆を投下した時から、人類は核時代という人類絶滅と背中合わせの状況に置かれることになってしまったのです。

 その意味で、広島・長崎の原爆投下は戦争行為にとどまらない大きな意味を持っています。ヒロシマ・ナガサキは、まさに核時代という人類の生存にかかわる教訓なのです。ヒロシマ・ナガサキは、いったん核戦争が起これば人類には死滅しか残されていないことを教えています。そこには戦争の被害・加害を論じる余地などありません。すべてが無に帰してしまうのです。そのことを分かってください。そして、私たちが訴え続けている核兵器廃絶運動の趣旨を理解してください。

 ご存じのように、インド・パキスタンがあらたに核保有国になり、北朝鮮や中東諸国などでの核兵器保有も懸念されています。私たちは再び核拡散の脅威にさらされる時代におかれてしまいました。このような状況を防いで、再び核軍縮への足どりを確かなものにするため、あなたも力を貸してください。これは被爆者としての私の切実な思いです。

インデックスへ(戦争の加害・被害)

NO.2戦争はいつも独裁者が起こす受信日:1998.3.27国名:アメリカ整理番号:00012
 興味があったので、松原さんのホームページにアクセスしてみました。その中で見られる議論は、事を単純化しているように聞こえますが、「戦争を始めるな」という言葉の中には、深い真相があると思われます。

 しかし、このページで示されている内容や事実記録には、戦争を引き起こす要因の1つが見落とされています。というのは、これまで世界の歴史上、2つの民主主義国家が敵対して戦うということはありませんでした。おそらく、その理由は、民主主義国家の政府は、戦争によって多くの損失を被ることはあっても、ほとんど何も得られない市民に、己の行動をアピールしなければならないからです。

 戦争はいつも、民衆の利益など無視することに何の違和感も感じない、軍の独裁者によって始められてきました。このことについて書かれた、非常にすばらしい本があります。まず初めに『民主主義の記録』という本を読んでみて下さい。

 今後、戦争を起こさせないためには、おそらく民主政治と人権のために力を尽くすことが最大の方法ではないかと思います。

 このホームページに見られる感情論にかかわらず、日本が将来的に戦争を起こすなどと深刻に思っている人はだれもいないと思います。その理由は、日本は今、自由な、そして開かれた議論が行える民主主義の国でありますし、政府は、民衆の行動に応えていかなければならないからです。

 私はこの議論の参加者に気付いていただきたいことがあります。日本が第二次大戦を始めたということに対する非難は、圧政を強いた帝国軍政府に向けられているのであって、日本であろうと他国であろうとそのほこ先は変わりません。決して日本人を非難しているのではないのです。

NO.(2)市民が監視する努力必要返信日:1998.12.21返信内容整理番号:00012
 貴重なご意見ありがとうございました。
   
 あなたがおっしゃられる様に、戦争はいつでも、自分のエゴにとらわれ、人民を省みないひと握りの人間によって起こされます。ですから、指導者がどのような人間なのかということが非常に重要になってきます。しかし、指導者と言っても、それを支えるのは人民です。その指導者を存続させるか否かを決定づけるのは民衆の力です。

従って、民衆が賢くなり、自分たちの代表者を選び、監視していく必要があります。その意味で、あなたのおっしゃる様に、民主政治と人権の保障を獲得するために我々民衆が努力することは大切なことです。ひと握りの人間・独裁者のための政治ではなく、人間の生命の尊厳を根本におき、人間に光を当てた政治が行われることを私は望みます。そしてそれは、将来にわたり戦争を起こさないということだけでなく、地球的問題と言われている、飢餓や貧困、人口問題や環境問題を解くカギになると確信しています。その為の行動を一緒に起こしていきましょう!

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NO.1非難の応酬より事実に責任持とう受信日:1998.2.23国名:整理番号:00008
 私は広島県呉市に生まれ、現在、サンフランシスコの海岸沿いに住んでおります。幸運なことに、この度、貴女のホームページを拝見する機会を得ました。あなた方のホームページにアクセスした人々のコメントを読みましたが、それらの多くが私にとって悲しむべきものでした。

 ある人は、日本が原爆を落とされたくなかったのなら、戦争(真珠湾攻撃)を始めるべきではなかったと強調していました。しかし、このホームページの目的は、日本が犯した罪を正当化したり、原爆を投下したことに対して米国を責めることではありません。

 インターネットやインフォメーションには、一般的な原爆に関する情報、ヒロシマ・ナガサキの経験、パール・ハーバーの経験、日系人収容所での経験、ナチによる強制収容所でのユダヤ人の経験等が含まれなくてはなりません。

 これらのトピックは、どのようなホームページにおいても、事実にもとづいたものです。ですから、ある特定の人を指して、“お前が先に起こしたことに対して、受けるべきものを受けたのだ。だからお前にそのようなことを話す資格はない” と非難するのは不公平です。

 私は日本人の大半が、自分達が、そして自分達の祖先が第一次・第二次大戦中、何を行ったか知っているということを他国の人々が理解してくれているよう望みます。しかし、その出来事を認めたり、そのことについて話をしたりするかどうかは、個人の問題です。

 しばしば、我々日本人の若者は、正確な情報を教えられていないため、自国の歴史について知らないといわれます。このことについて私は憤りを禁じ得ません。というのは、大半の日本人は、我々が何をしてきたか知っているからです。当然、そのことについて話すことは、不愉快です。だからといって、我々が歴史を知らないとか、我々に反省の念がないということにはならないはずです。

 そして、もし私が、他のアクセス者の議論を用いるとすれば、次のことが言えます。それは、日本人の教科書から日本の戦争犯罪に関する内容が削除されているということを、米国人が指摘する資格を持っていないということです。というのは、米国もまた、自国の発展のために貢献したアフリカ系アメリカ人、ラテンアメリカ人、アジア系アメリカ人、アメリカ先住民、その他少数民族の存在を教科書から削除しているからです。

 この議論は一般的には妥当なものではないかも知れませんが、その特定のアクセス者に対しては適切なものだと思います。

 私たちは、自分達の行動に責任を持たねばなりません。誰かに対して、“お前が先に始めた”とか、“お前のやったことの方がさらに悪い”などと言って非難したり、非難をすり替えることはできないのです。私達がやったことは事実であって、それを否定することができないのと同様に、彼らのやったことも事実であって、それを否定することはできません。

NO.(1)過ち繰り返さぬ行動が責務返信日:1998.11.21返信内容整理番号:00008
 貴重なご意見、大変ありがとうございました。
 ご指摘がありました通り、ヒロシマ・ナガサキの話をする時にはしばしば、「そもそも攻撃をしかけてきたのはどっちだ」という議論が出され、「だから原爆投下は仕方がない/正当である」との結論で片付けられてしまいます。しかし、そこで議論を終えてしまっては何の解決もないばかりか、何の発展もありません。

あなたがおっしゃる様に、日本が真珠湾を攻撃したことも、アメリカが原爆を投下したことも、それは誤りであり、否定できない事実です。それを真正面から受け止め、過ちを二度とくり返さないためにはどうしたら良いのか - こう考え、行動していくことが、今私たちに課せられている義務だと思います。

 行動を起こすには、まず何が真実なのか知ることが大切です。その意味で、被爆者に限らず、今世紀、さまざまな悲劇を目の当たりにした方々の証言を伝えていくことが大切ですし、正しい情報を伝えるマスメディア、そして何と言っても教育が重要だと思います。そして、正しい認識を持った人々が連帯し、平和を創造する波を起こしていかなくてはなりません。

 私は、日本が再び戦争をしないように、核兵器が使用されないように願いながら、祈りを込めて、広島を訪れる修学旅行生達に被爆体験談を話しています。その時、広島平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑の碑文の意味についても触れています。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文は、碑の前にぬかづく我々人類すべてが誓うべき言葉であり、広島と長崎の地に住む者は、この誓いを世界の人々に伝える義務があると思います。この言葉が、国家を超えて、全人類の現在、未来と永遠に通ずるものであってほしいと願いながら、国外でもこの碑文の話をしています。

 広島県出身のあなた、自分の持てる力を最大限発揮しながら、平和のために行動を起こしていきましょう!