原爆による被害は、熱線、爆風、放射線の影響の3つに大別されます。直接被爆した人は市民、街に入った人、軍人をあわせて約35万人にのぼると推定されています。正確な被害を特定することはできませんが、1945年の終わりまでに約14万人前後が亡くなったと考えられています。爆心地から半径2キロ以内の建物がほとんど焼き尽くされ、破壊されました。
(1)熱線による被害
原爆の爆発の瞬間、空中に発生した火球は1秒後には直径280メートルの大きさとなり、表面温度も7000度にも達しました。
▽人への影響
【写真】熱線でやけどを負った男性。
爆心地に近い所にいた人は、原爆の爆発を黄色がかった赤色と感じ、遠くにいた人はマグネシウムの燃焼のような青白色の感じだった、と言います。爆発で放射された強烈な熱線は、爆心地から3.5キロメートルまでの地域にいた人々にひどいやけどを負わせました。特に、爆心地から約1.2キロメートル以内でさえぎるものがないまま熱線の直射を受けた人は、皮膚が焼きつくされ、体内の組織や臓器に致命的なダメージを受けたため、そのほとんどが即死か数日のうちに亡くなりました。
中学生の残したツメと皮膚
県立広島第二中学枚1年生の手島範明(てしま・のりあき )さんは、爆心地から600メートルの中島新町で建物疎開作業中に被爆。全身の皮膚が垂れ下がるほどの大やけどを負い、友人に助けられて帰宅しました。のどの渇きに耐えかねてか、ツメのはがれた指先から出るウミを吸ったといいます。苦しみなから、翌7日に亡くなりました。母親がツメと皮膚の一部を出征中の父親への形見として残しました
▽物体への影響
熱線の温度は爆心地から約600メートル離れたところでも2000度に達し、この範囲にあった屋根瓦(がわら)は表面が溶けて泡状になるという現象が見られました。爆心地から遠くはなれた場所にあった衣服や紙に書かれた墨(すみ)文字などの色の濃い部分なども熱線によって瞬時に焼けてしまいました。また、鉄道線路の木の柵(さく)も自然発火し、燃えたところもありました。
■丸瓦
爆心地から600メートル以内にあった瓦は、直接熱線を受けた部分の表面が溶けてブツブツの泡状になりました
階段の上の人影
爆心地から約250メートル離れた紙屋町の住友銀行の入り口階段にできた人影です。この人は爆心地の方を向いて階段に腰掛けていました。原爆炸裂の瞬間、閃光(せんこう)を真正面から受け、その場で亡くなったと思われます。周りが熱線を受けて白っぽくなっている中で、人が座っていた場所だけが黒っぽく残っています。