9-11テロ一周年記念講演ツアー

ニューヨークでの同時多発テロから1年たった2002年9月、反戦・反核・平和を訴える講演ツアーが米国で開催され、松原が参加しました。

ツアーに込められた最大のメッセージは、「ノーモア犠牲者」「遺族の願いは戦争や報復することではない」です。

ツアーの名称は「No More Victims: Family Members Speaking Tour」です。

主催はアメリカン・フレンズ・サービス委員会(1946年ノーベル平和賞受賞。1955年原爆乙女25名を広島から招き、米国ニューヨーク市の病院での治療に援助の手を差しのべる)と、「平和な明日を目指す9月11日の遺族の会」の2つのグループで、テロ以降の戦争犠牲者の一人であるアフガン人、フィリピンの若い女性や米国の経済制裁で家族が深刻な影響を受けているイラクの大学院生も加わりました。

具体的な目標は、
1.ブッシュ政権の戦争行為に対し、人間が経験する戦争の悲 惨さを議論の中枢にすえること
2.終わりのない戦争に人類を駆り立てようとする戦争翼賛のプロパガンダに対抗すること
3.平和活動構築を支援すること
以上の3つです。

日程は9月6日~15日の10日間で、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストン、マサチューセッツ西部、ロードアイランド、コネチカット、シカゴ、セントルイスの8カ所を訪れました。各集会の2時間をフルに活用するため、5~8人のスピーカーがそれぞれ5~8分間話し、それから質疑応答、意見交換、詩の朗読などをしました。聖ジョン教会やボストン大学、スミス大学などで計9回、約2,740人に話しました。

参加後の感想

核兵器は、一瞬にして大量の人間を無差別に殺します。「戦争(紛争)やテロよりも、核兵器はもっと残酷で恐ろしい」ということを伝えるのが、このツアーに参加した目的でした。戦時には核兵器の使用も辞さないと強い姿勢を示す一部の政治家に対して、そして、その国に住む人々に対して、平和への願いを強めてもらいたいという思いもありました。ツアーに参加して講演をすると、多くの聴講者が「被爆者の声を生で聴くのは初めてで、そのメッセージの重さが伝わってきた」などの感想を話してくれ、講演後は一斉に立ち上がって盛大な拍手をしてくれました。

●思い伝わった

現地の新聞も、私の顔写真を入れて「被爆者がヒロシマの心を伝える」と大きく報じてくれ、私の反戦・反核、そして平和を訴える思いが伝わったのだということが実感でき、うれしく思いました。
しかし、平和は大切だという気持ちをばく然と抱きながらも、「戦争や核兵器は、国や地域間の争いの解決にはならない」というしっかりとした意見を持ち、それを積極的に平和へ導く行動をしようとしている市民は、あまりいるようには見えませんでした。そのような現状を目の当たりにし、核兵器保有国をはじめ、世界中に核兵器のはかりしれない恐ろしさをさらに伝える必要性も痛感しました。参加予定だったイスラエル、パレスチナの犠牲者が理由も告げず、急きょ参加しなくなったことや、ニューヨーク市内の集会場には、日本(NHK)、ドイツ、オーストラリアなどのテレビ取材は来ていたものの、地元アメリカのテレビ局が来ていなかったことは、残念でした。

●ネット活用の重要性実感

けれども、9・11のテロ直後は4、5人程度であった「平和な明日を目指す9月11日の遺族会」の会員が約40人に増えていたことや、音楽という形を通して、遺族が新たに活動を広めていることを聞き、うれしく思いました。ツアーをふり返ってみると、私の中には活動の新たな目標がはっきりとした形で浮かびあがってきました。それは、インターネットを最大限に活用した被爆体験やヒロシマの心を伝える活動を充実させることです。
 ツアーなどでは参加人数などで限界がありますが、インターネットを利用すれば、数え切れないほど多くの人々に、被爆体験や反戦・反核や平和の思いを伝えることができます。そして、平和を願う人々の輪が、世界規模でもっともっと広がると思うのです。
 今後は、若い人たちの知識や支援を得て、この目標に向けて努力していきます。今回のツアーは、新たな目標を見い出せたこともあり、とても意義深いものになりました。この貴重な経験を無駄にしないためにも、私なりの伝え方で、平和の大切さを世界に呼びかけていきたいと考えています。