米国・アトランタ市内の原爆展参加報告

松原美代子

広島に原子爆弾が投下されてから58年たった2003年9月、原爆の恐ろしさを明らかにし、さらなる核兵器使用を防ぐことを目的とした原爆展が、米国ジョージア州アトランタ市のエモリー大学で開催されました。同大学(東アジア研究科)、広島市、長崎市、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館等の主催です。広島市から、畑口実・広島平和記念資料館長と被爆者・松原美代子が参加しました。

展示を熱心に見る来場者と鶴を折る人々

開催期間は2003年9月15日(月)~11月15日(土)の2カ月間で、私たちは、9月14日(日)の開会式から17日(水)までの4日間滞在しました。会場は同大学のシャトン・ギャラリー。図書館奥の一角にあり、300から400平方メートルの広いスペースを4ブロックに分け、写真パネル48点や原爆の絵41点などの資料が展示されました。折り鶴の体験コーナーもあり、盛況でした。

具体的な目標は、二度と核兵器による虐殺が起こらないようにと願って、被爆の実相を伝え、核兵器廃絶に向けての国際世論を醸成することでした。私が今回の展示会場を見て感じたことは、広島市民の平和への取り組みなどを紹介した新しい写真パネルも加わって大変よかったと思いました。

 私のように被爆して全身大やけどを受け、心身ともにとても苦しみを味わっていた昭和20年代、広島流川教会の谷本清牧師が被爆者の支援をしてくれました。エモリー大学は牧師の母校であり、そのおかげで今回のこの素晴らしい立派で有意義な海外原爆展が開催できたのだと思いました。開会式場にはいると、既にスピーチの原稿を送っておりましたので、数人の教授との会話もでき、今日出会ったのがはじめてではないような雰囲気を感じました。

 開会式に当たって、ゲリー・ハウク副学長が主催者側のあいさつをされ、谷本清牧師の人となりや業績をたたえられました。このことは、私にとってとてもうれしく、誇りに思えることでした。その場に参加させていただいたことを広島の心に感謝したものです。

 次に畑口館長があいさつをされました。館長は渡米中一貫して、「原爆投下における歴史的背景」や「原子爆弾投下の必要性」をもとにした原爆被害の概要と広島の願いである核兵器廃絶に向けた被爆地広島の取り組みなどを話されました。

その後の集会も、館長は各会場を回り、上記のお話に地図を使いながら、分かりやすく丁寧に話されていました。松原は原子雲の下で起こったこと、その影響で58年後の今日までも心身とも苦しみ続けていること、世界情勢の緊迫化などで核兵器が再び使われるのではないかという懸念、高齢化する被爆者の声が届かないもどかしさなどを伝え、若者に託すメッセージも付け加えました。館長とお互いに足りないところをおぎない合った形の話の運び方に効果が倍化したように思われました。会場では、「被爆者は核軍縮に向けて何をするかが大切である」と言われた人もいました。

原爆展のほか、滞在中はアトランタ市内の小・中・高・大学7カ所を訪れ、約1,100人に原爆被害の実態や被爆体験を伝えました。各校では、質疑応答、意見交換の時間を設け、ある大学では1時間のところを2時間もオーバーしたこともありました。全員総立ちになって拍手をする場面も度々ありました。

9月15日アトランタの高校にて 9月16日アトランタの小学校にて

質問として、原爆投下の是非や、日本の教科書に原爆投下についてどのような記述がされているのか、アメリカを恨んでいるのか等がありました。また、「米国による核廃絶の道筋はどうすべきだと思うか」など、具体的な質問が約40以上もありました。以下にいくつかの質問に対し、私たちが回答したことの一部を記します。

9月16日、CNN放送局の単独インタビュー
質問

1.今回の原爆展でどの資料を一番見てほしいか
2.今年の8月6日をどんな思いで過ごしたか
3.この原爆展を見て何を感じてほしいか
4.今の世界情勢をどう思うか
回答(質問4に対して)
 現在7つの核保有国が保有している核兵器は、全体で2万発以上にものぼります。それらの核兵器は、広島に投下された原爆の何百倍、何千倍もの威力があります。その破壊力は、広島の被害状況から推定すると、地球上の全人類を数度も殺りくできるほどです。ですから、戦争で再び核兵器が使われるようなことになれば、人類には絶滅しか残されていないのです。

 そこには、勝者も敗者もありません。加害も被害もありません。無があるだけです。その意味で、ヒロシマ・ナガサキは加害・被害の概念を超えた悲劇の体験であり、人類はヒロシマ・ナガサキから未来を生きるための教訓として学びとらなければなりません。

破壊と背中合わせに立たされている私たちに、どうか明るい希望のある21世紀を作るため、核軍縮に向けての努力をしてほしいのです。

9月15日私立オーグルソープ総合大学
質問1

日本が戦争を諦めないので、多くの都市を爆撃したが、それでも降伏しないので、原爆を落として降伏させた。結果的には多くの人を助けたのではないか。
回答
アメリカはなぜ、日本に原爆を落としたのでしょうか。それは、戦争を早期に終結させて双方の人命の損失を少なくさせるためと説明されていますが、アメリカは戦争を早期に終結するためには、原爆を落とす必要はなかったのです。日本は、原爆を投下せずとも降伏しなければならない状況であったことをアメリカは、よく知っていました。特にトルーマン大統領は、原爆使用を強く希望していたのではなかろうか。

原爆を落とした理由として
(1) ソ連の参戦予定の8月8日以前に勝負をつけたい
(2) 戦後、ソ連に対してアメリカを優位にしたい
(3) 巨額の費用を投じて完成した原爆の性能を確認したかった

以上3つのうち(1)(2)は、日本のみならず、アメリカの大学生、教授、学者、軍関係者では、しばしば研究発表され、書にも記されております。

9月15日私立オーグルソープ総合大学、その他多くの小学校で

質問2
なぜ、その後日本人とアメリカ人は仲良くなったのか

回答

(1) 天皇制が維持されたので混乱が起きなかった
(2) 戦後、日本人はアメリカ人を恐れていたが、アメリカ人が明るく紳士的であったこと
(3) 占領時期の2、3カ月で落ち着きを取り戻せたこと
(4) 多くの援助物資がアメリカからも届き感謝した
(5) 本土決戦から開放され、民主主義、平和と自由のありがたさを知ったこと
(6) 戦後の復興で忙しくてアメリカを恨む余裕さえなかった

など