NO.20 | 衝撃的な内容、もっと体験を聞きたい | 受信日:1998.12.11 | 国名:アメリカ | 整理番号:00081 |
私は、ニューヨーク州シラキュースにありますビショップ・グライムズ高校の2年生です。社会歴史学のコースをとっているのですが、今度行われる模擬裁判に参加する予定です。その模擬裁判ではハリー・トルーマンの日本への原爆投下の決定は正当であったかを争います。成績の評価を得るためには、トルーマンに対する訴訟において、できるだけ説得力のある立証をしなければなりません。 インターネットでリサーチしていて、あなたの被爆体験談の一部を拝見しました。おそらくあなたのお話は、私がこれまで読んだ中で一番心に衝撃を受けた内容であると思います。ですので、あなたの被爆という実体験談をうかがい、授業で皆に聞かせたいと思っています。もし、お手紙でも電話でも、テレビ電話でも構いません。お話をお聞かせいただければ大変助かります。 私たち「検察側」の調査にお力添えいただけるのでしたら、まずは電子メールでお返事下さい。その後、私より詳細についてお伝えさせていただきます。ご考慮いただけますこと、そしてあなたとお話ができますことを念じております。 | ||||
NO.(20) | 語るのはつらい仕事 ぜひホームページ見てほしい | 返信日:1999.2.11 | 返信内容 | 整理番号:00081 |
私は、これまで語り部として自分の被爆体験を国内・国外の人々に語ってきましたが、過去の悲劇的な話を繰り返し語るということは、実はとてもつらいことなのです。話をする度にその惨事を思い出し、心に傷を付けてしまうのです。これは、他の被爆者にも共通して言えることです。しかし、私は核兵器の再使用を阻止することが生き残った者の使命だと考え、ホームページを開設しました。 ですから、これからはなるべく心身共に耐え難い苦痛を伴うような語りは避け、ホームページを使って人々に反核を訴えたいと思っています。過去の惨事を伝えることももちろん重要ですが、これからは戦争のない明るい未来をどのように築いていったらいいのか皆さんと考えていきたいです。 以前アクセスしてきた人達から私の原爆体験に関する質問を受け、何度か回答しましたので、そちらも参考にしてみてください。なお、ホームページ上になく、どうしてもお知りになりたいことがあればお尋ね下さい。 |
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NO.19 | 私たちは何を討議したら・・・ | 受信日:1998.11.8 | 国名:アメリカ | 整理番号:00075 |
私は、アメリカ・バージニア州の小さな町に住んでいます。実はどうしてもお願いしたいことがあるのです。 私たちは「歴史の日」大会にかかわっています。その大会での議題は、「科学と技術」であり、私たちは原爆とその影響力について取り組むことにしました。「世界原爆博物館」の責任者の方から松原さんのことをご紹介いただき、いろいろ質問してみてはどうかというアドバイスを受けました。実はたくさんおうかがいしたいことがあるのです。 私たちは、今回のプロジェクトの中で、広島か長崎の日本人被爆者の方に焦点を当てようと思っていたのですが、松原さん、あなたこそ、私たちの求めていた方なのです。ですので、もしご了承いただけるのであれば、広島への原爆投下についてあなたとお話しをさせていただき、そのいくつかを使わせていただければと思っております。私たちの地域住民の方にもあなたのお話を聞いてもらいたいのです。 以下いくつか質問させていただきます。 1.原爆によってやけどを負われた以外に、何らかの後障害に苦しまれたのでしょうか? 2. 原爆によるすべての破壊という現実を前に、あなたにとって一番受け入れられなかったこととは何でしょうか? 3.原爆投下の瞬間、何を感じられたか、簡単にお話ししていただけますか? 4.アメリカ人に対して憎しみの気持ちはお持ちですか? 5.次の引用は、原爆製造にかかわった主要人物の一人、ロバート・オッペンハイマーの引用文です。彼の言葉をどのように解釈されますか? 「もし再び世界大戦が起きれば、その時、文明は消滅するであろう」 6.現在のすべての核実験、核備蓄についてどう思われますか?(例えば: インドやパキスタン、北朝鮮など) 7.このプロジェクトを通して私たち(マイケルとサラ)は一番何を得ることができると思われますか? 8.私たちは、何を主として討議すればよいと思われますか? このようにたくさんの質問をしてしまい、松原さんはうんざりされたかも知れませんね。もしそうだとしたらすみません。もっとおうかがいしたいことはあるのですが、松原さんにお時間を取らせ過ぎですよね。ご都合の良い時で構いません。どうぞ11月21日迄にお返事を下さい。心より感謝申し上げます。 | ||||
NO.(19) | 核兵器そして戦争をなくすことがテーマ | 返信日:1999.3.7 | 返信内容 | 整理番号:00075 |
アクセスありがとうございます。私は 最近「歴史の日」大会に参加するあなたのような学生から質問を受けています。 あなたの質問 No.5 と No.8 に対し、下記のとおりお答えします。 5. オッペンハイマーは、原爆開発に携わった科学者の中で原爆使用を認めた一人です。ご存知のように、マンハッタン計画に何らかの形でかかわった科学者のうち、アインシュタイン博士をはじめ、62人もの人が原爆を兵器として使うことは神への挑戦だとして、その使用に反対する勧告をトルーマン大統領に出しました。 オッペンハイマーは、その中でアメリカ政府や軍部に同調して原爆使用を認めたわけですが、ヒロシマ・ナガサキの被害のあまりの大きさに彼自身衝撃を受け、三度核兵器が使われるような戦争が起これば、人類の文明は消滅してしまうと考えたのだと思います。 8. 核兵器をなくすこと、戦争をなくすことがメインテーマにならなければいけないと思います。国家間の問題を話し合いによって解決していくために私たちが自分の国の政府に対して何をすべきか、 また国際的な人的ネットワーク作りのために一人一人がどうかかわっていくべきか議論していく必要があるように思います。 このほかの質問に対しては、私どものホームページをご参考にしてください。 ご成功をお祈りしております。 |
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NO.18 | インターネット上でお話したい | 受信日:1998.10.18 | 国名:アメリカ | 整理番号:00068 |
私は、友人と共に原爆の道徳的ジレンマと、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の影響についての研究プロジェクトを行っています。私たちは、ペンシルバニア州アーリントンにあるスワイン学校の中学一年生です。私たちは我が国の「歴史の日」コンテストでこのプロジェクトの結果を発表する予定です。 私たちは、こうした過去の出来事について身近に知っている人と話をしなくてはなりません。松原さんのお名前は広島平和記念資料館館長からうかがいました。 次週のいつか(10月26日まで)お時間をつくっていただき、インターネット上でお話しさせていただくことはできますでしょうか。原爆投下が本当にどのようなものであったのか、知る機会があればとみんな思っております。松原さんが経験されたその悲惨な出来事は、私たちには想像できません。 お返事、お待ちしております。お力添えに感謝いたします。 | ||||
NO.(18) | 世界原爆博物館も見て | 返信日:1998.10.20 | 返信内容 | 整理番号:00068 |
私のホームページにアクセスしていただき、誠にありがとうございます。 残念ながら、私は10月21日から30日まで欧州に参りますので、広島でインターネット上の会話ができません。そこで、世界原爆博物館のホームページをご覧くださるよう提案します。URLは、http://www.csi.ad.jp/ABOM/ です。 次回は、必ず参加させてください。 |
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NO.17 | IAEAについて教えて | 受信日:1998.10.9 | 国名:アメリカ | 整理番号:00063 |
国際原子力機関について何かご存知ですか? 機関に対するご意見やその他何か情報がありましたらご一報いただけますと、非常に助かります。 よろしくお願いいたします。 | ||||
NO.(17) | 詳しくは分かりませんが・・・ | 返信日:1998.12.31 | 返信内容 | 整理番号:00063 |
メールありがとうございます。 残念ながら、IAEAについて私は詳しくは存じ上げておりません。知っていることといえば、「1957年に国連総会により設立された機関」であり、活動内容は、「原子力の平和利用の促進および指導、核の安全と環境保護のための基準の確立、加盟国における放射線や原子力施設の安全性の強化、放射性廃棄物処理のための技術協力と援助、原子力に関する科学技術情報の交換の促進など」です。 なかでも、「核の軍事転用、核拡散防止のための査察業務を主要任務としている」ということです。このことはジャクソンさんならすでにご存知かもしれませんが…。 IAEAについて何かお知りになられたいのでしたら、メールで連絡してください。関係する問い合わせ先をお知らせします。または、日本人で専門家の方がいらっしゃるので、その方にメールを送られてはいかがでしょうか。 |
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NO.16 | 慰霊碑について情報をほしい | 受信日:1998.10.2 | 国名:オーストラリア | 整理番号:00060 |
広島の平和公園や、原爆で亡くなられた方のための慰霊碑についての情報を送っていただきたくお便りしました。また、もし可能であれば、写真なども送っていただければ幸いです。これらはすべて、私の日本語学校計画のためです。ご協力有り難うございます。 | ||||
NO.(16) | 5月完成のホームページに詳細 | 返信日:1999.1.19 | 返信内容 | 整理番号:00060 |
お返事が大変遅れましたことを深くおわびいたします。 私たち若者4人を含む5人は、目下多忙とさまざまな病気と闘いながら、1999年3月末日までに完成を目指して、広島平和記念公園や慰霊碑などの説明を取り入れた新しいホームページ作りに励んでおります。間に合いませんので誠に恐れ入りますが、下記のところにアクセスして下さい。 http://www.csi.ad.jp/ABOMB/ |
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NO.15 | 日本人は戦争で生命を落とすのが名誉なのですか | 受信日:1998.10.1 | 国名:アメリカ | 整理番号:00059 |
私は今、高校一年生で、学校で『ヒロシマ』という本を読み終えたところです。わたしの先生は、あなたがもっと詳しい情報を提供してくださるでしょうと言って、あなたの住所を私たちに教えてくださいました。私は、あなたの原爆体験が一体どのようなものであったのかと、いろいろ想像していました。 生き残ることは困難でしたか? 日本人は戦争で命を落とすことを名誉だと考えているようですね。あなたの人生において、そのころの記憶はやはり鮮明に残っているのでしょうか? 私はそのころの歴史にとても興味を持っていますが、同時に、その時代はとても悲劇的であったと思います。 | ||||
NO.(15) | 「死にたくなかった」と言う人も | 返信日:1998.12.21 | 返信内容 | 整理番号:00059 |
お便りありがとうございます。あなたのような若い世代がヒロシマに関心を示してくださることに、私は非常な喜びを感じています。 あなたの質問の中に、「日本人は戦争で命を落とすことを名誉と考えている」ということがありました。確かに、自ら操縦する戦闘機で敵の軍艦に体当たりする「神風特攻隊」を見ればそのように見えるかもしれませんが、実はこれは誤解です。作戦参加者はまだ20才前後の若者が中心でしたが、彼らはそうするしか道がなかったのが実状です。 日本の敗戦が濃厚となる中で、日本には戦う兵器も少なくなり、軍部は兵士の命を命とも考えない無謀な作戦を次々と考え出しました。作戦に参加した若者達は志願兵でしたが、作戦に参加し、運良く生き残った人たちの多くは、「あのような愚かな作戦の犠牲になりたくはなかった」と言っています。 地上にある生命の頂点に位置する人間は、一人一人の人間の命の尊厳を重んじ、他のありとあらゆる生命を大切にしていかなければなりません。核時代の今日、その尊厳ある命を最も脅かしているものが核兵器です。もし核戦争が起これば、人類は絶滅し、他の多くの生命も失われて、地球は「死の星」となってしまいます。 私たち被爆者は、次の世代に「輝く地球」をバトンタッチすることが義務だと感じ、核兵器廃絶を叫び続けてきました。でも、私たちはすでに高齢になり、残された命はあとわずかしかありません。エミリーさん、次はあなたたち若い世代が力となる時代です。命の尊厳が守られる「輝く地球」を創(つく)るため、どうぞあなたのできることから取り組みを始めてください。 |
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NO.14 | 原爆投下は警告されていたか | 受信日:1998.9.21 | 国名:アメリカ | 整理番号:00057 |
私は、ロング・ビーチ市立大学 の学生です。実は、「English and Critical Thinking」というクラスで作文の宿題が出されており、そのトピックは「広島に原爆投下は必要だったのか」というものです。作文のために使用する情報はすべて事実が立証されていなければなりません。そこで松原さんに、次の情報が正確なものであるのかどうかぜひとも確認していただきたいのです。 “原爆が投下されるまでの30日間「日米間である合意がなされなければ、原爆を投下する」という内容を記載したビラが飛行機からばらまかれ、日本は原爆投下の可能性を前もって警告されていた”という話がありますが、これは事実ですか? どのようなものでも構いません、お力添えをいただければ、この上なくうれしく思います。何とぞよろしくお願いいたします。 | ||||
NO.(14) | 「警告されていなかった」 | 返信日:1998.10.4 | 返信内容 | 整理番号:00057 |
“日本は原爆投下の可能性を前もって警告されていたか”というあなたのご質問に対して、私は次のとおりお答えいたします。 図書「原爆投下決定」L。ギオワニテイ、F。フリード著 堀江芳孝訳 1967年 原書房出版(日本語版)によれば、“1945.6.1の実行臨時委員会の会議で「原爆は予告なしにこれを使用すべきこと。これについて、スチムソン陸軍長官は「委員会の意見によると、他の方法、即ち予告をするという方法を取ると、日本側に早速降伏させるという大目的が得られなくなる恐れがある」と述べている。” 従って、「警告されていなかった」とお答えいたします。 | ||||
NO.14-2 | お礼 | 受信日:1998.10.8 | 国名:アメリカ | 整理番号:00057-2 |
原爆投下についての情報がほしいという、キャロリン・ハーベイに対し、お返事をいただき、大変感謝申し上げます。彼女は、クラスメートや教授に、その情報を提供することができました。お心づかい、大変うれしく思います。 |
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NO.13 | 原爆投下の何に反対しているのか | 受信日:1998.8.10 | 国名:アメリカ | 整理番号:00051 |
私は、あなたのホームページの目的と、原爆被害の情報について関心があります。あなたは、アメリカが原爆投下を正当化していることに反対しているのですか? それとも、単にその原爆の破壊力について反対しているのですか? | ||||
NO.(13) | 核の存在自体に反対 | 返信日:1998.11.12 | 返信内容 | 整理番号:00051 |
私のホームページに関心をお寄せいただき、誠にありがとうございました。 戦争を早期に終結させ、日米両国民の間にこれ以上の犠牲者を出さない為に原爆が使用されたという、トルーマン声明に賛同するアメリカ人が多くいることは、充分承知しています。 しかし、“アメリカが原爆を投下するまでに至った原因が何であれ、大量殺りく兵器、原爆使用は間違っている”と思います。 そして、このホームページの目的や私たちの運動の目的は、“アメリカ一国を指してうんぬんではなく、核兵器の存在それ自体に反対し、それを廃絶していくこと”であります。 ご理解いただければ幸いです。 |
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NO.12 | 死没者数は? | 受信日:1998.8.3 | 国名:アメリカ | 整理番号:00044 |
今年ヒロシマとナガサキで、何名の被爆者の方々が亡くなられたか知りたく、インターネットで検索していました。 1991年、ヒロシマとナガサキを訪れた時、私は平和式典に参列しました。毎年その年に亡くなった被爆者の名を書き加えた死没者名簿が、記念碑に奉納されています。今年、何名の方々がその名簿に書き加えられたかご存知ですか?私は平和促進のために活動しており、展示を通して人々に、原爆は今もなお人々の生命を脅かし続けており、それは決して過ぎ去った過去の出来事ではない、ということを知らしめたいと思っています。 もしも、あなたが、今年の死没者数をご存知であるならば、私に教えていただけませんでしょうか。また、ここ5年、または10年といった過去の死没者数もご存知であれば、それもぜひお教えください。若い人々に知ってもらいたいのです。 | ||||
NO.(12) | 1998年8月6日現在 207,045名です | 返信日:1998.9.16 | 返信内容 | 整理番号:00044 |
被爆者の死についてご理解していただき、また平和の為にご活動してくださっていることを知り、大変感激しています。 さて、1998年8月6日現在の広島の原爆死没者名簿の奉納数は、207,045名で、この1年間で4,927人増えました。4,927人のうち、この一年間で実際に亡くなられた方の数は3,856人です。残りの1,071人は、さまざまな理由でこれまで死亡届けが出されていなかった方々です。なお、過去10年間の数は下記のとおりです。 ’89 157,071名 ’90 167,243 ’91 172,024 ’92 176,964 ’93 181,836 ’94 186,940 ’95 192,020 ’96 197,045 ’97 202.118 ’98 207,045 どうか今後とも、平和推進のため、ご尽力くださいますよう心からお祈りしております。 |
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NO.11 | 原爆投下について情報ほしい | 受信日:1998.8.3 | 国名: | 整理番号:00043 |
ヒロシマの原爆投下についての情報を送っていただけませんか。学校の勉強で必要なのです。ご好意に感謝致します。 | ||||
NO.(11) | ニューズウィーク参考に | 返信日:1998.10.4 | 返信内容 | 整理番号:00043 |
原爆投下については、これまでたくさんの書物が出版されておりますが、最新の出版物として、私はつぎの本をご覧になるよう提案いたします。 週刊誌 「ニューズウィーク」日本語版の平成7年7月26日号(英語版 July 24, 1995). “1945.8.6. なぜアメリカは原爆を落としたか” クラスで勉強した結果をお知らせいただければ幸いです。 |
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NO.10 | 爆心地で生き残った8人のことを教えて | 受信日:1998.7.23 | 国名:アメリカ | 整理番号:00040 |
こんにちは。松原さんは、広島か長崎で被爆した8人の方々のことをご存知ですか。彼らは爆心地の近くにいたそうです。彼らは生き残りました。そして彼らの家も倒壊しなかったそうです。しかし、彼らの身のまわりにあったものはすべて破壊されました。 松原さんは、このことについて何かご存知ではありませんか。また、どうしたら彼らのことを知ることができますか? | ||||
NO.(10) | 残念だが今はすでに全員死亡 | 返信日:1999.1.19 | 返信内容 | 整理番号:00040 |
あなたの質問されている8人の被爆者について調べたところ、広島市役所発行の「広島原爆戦災誌」第?U巻の90ページに‘爆心に生き残る’と言う題で手記を寄せられた方がおられました。 その方は野村英三さんという方で、爆心地から100メートル離れた地上3階、地下1階の建物の中の地下1階で被爆されました。彼はたまたま、書類を取りに地下1階におりていて、奇跡的に生き残った被爆者の一人です。 “窓枠が燃え始めたので、その建物から逃れ出たものが自分を含めて男性4人、女性4人計8人だった。逃げる途中、片方の目がだんだん見えぬようになったという女性、気分が悪くなったという男性、頭が痛むと訴えるもの、みなそれぞれが外部の負傷と内部の故障をもっていた”と書いておられます。“毎日毎日何人となく彼のような状態の者が死んでいった。ついに唯一の被爆者になった”と。手記にはその7人がいつごろ亡くなられたかは書かれていませんでしたが、野村さんも既に亡くなられていたので、聞くことができませんでした。 私はあなたがヒロシマについて大変感心があり、博学なので驚いております。どうぞこれからも、私たち被爆者を暖かく見守って育ててください。 |
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NO.9 | どうしたら歴史の教訓から学べるか | 受信日:1998.7.17 | 国名: | 整理番号:00037 |
我々人間は、どうしたら歴史の教訓から学ぶことができるのでしょうか。 | ||||
NO.(9) | 過去の過ちを勇気持って直視すること | 返信日:1998.11.12 | 返信内容 | 整理番号:00037 |
私たち人間は、とかく自分の弱点を隠し、誇りでその弱さをごまかそうとします。 先の世界大戦を歴史の教訓として学ぼうとするならば、私たちが過去に行った数々の過ちを勇気を持って直視し、再びこのような過ちを繰り返してはならないと決意することだと思います。それには、平和教育が一番大切だと思います。 また、今なお、果たされない日本政府の賠償問題など、一刻も早く解決するよう努力することも必要だと思います。 |
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NO.8 | 原爆アニメビデオ入手したい | 受信日:1998.6.22 | 国名:アメリカ | 整理番号:00030 |
松原美代子さん、こんにちは。 私の教会の“グローバル・アウエアネス委員会”(ミシガン州、リンカーン公園にあるChrist the Good Shepherd Catholic教会と言います)は、デトロイトから20分の所にあります。リンカーン公園がデトロイトから近いと記しておけば、リンカーン公園が地理的にどこにあるのか、より良くわかっていただけるかと思い、こう書いてみました…。その委員会での活動は私の関心事の一つで、私は今、私たちの地域に住む人々に、あるビデオを紹介したいと思っています。 私はヒロシマかナガサキの原爆投下に関するあるビデオを探しています。それはアニメのビデオです。確か名前は、「原爆42年目の夏(?)」だったような気がします。全く違うかも知れませんが…約10年前、若者達の集会で鑑賞しました。Gumbleton司教がそれを見せてくれたのです。彼は、もうそのコピーか何かを持ってはいないのです(単に探せないのですが…)。私の言わんとしているビデオについてお心当たりがあるようでしたら、どんな情報でも構いませんのでお知らせいただければ大変ありがたく思います。 私のお伝えしたいことがわかっていただけるとうれしいのですが…:) | ||||
NO.(8) | 残念ながらわかりませんが・・・ | 返信日:1998.8.26 | 返信内容 | 整理番号:00030 |
お尋ねの「原爆42年目の夏」というビデオについて、私どもは何も知りません。しかし、私たちの知人であるアメリカの大学助教授が、被爆50年を記念して、広島で撮影しアメリカで製作したビデオ、『原爆被爆者の3人の証言集』(英語版)が必要であれば、メールをください。お問い合わせ先の住所をお知らせします。 |
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NO.7 | 世界は原爆から何を学んだか | 受信日:1998.5.7 | 国名:アメリカ | 整理番号:00016 |
現在私たちは、英語の授業で原爆についてのレポートを作成しており、そのためにいくつかお聞きしたいことがありまして、アクセスしました。 1.原爆が投下されたとき、あなたはどこにいましたか。 2.原爆がさく裂したとき、最初に見たものは何でしたか。 3.爆発後、あなたの身体になにが起こりましたか。 4.あなたが被爆した地点で身体に現われた主な影響は何でしたか。 5.あなたの家族、友人・知人の中で、原爆で亡くなった方はいらっしゃいますか。 6.原爆投下後、心身共に回復されるまで、どのようなことが起こりましたか。 7.原爆投下後、アメリカに対してどのような感情を抱いていましたか。 8.原爆投下について事前に警告を受けていましたか。そうだとすればどのようなもの でしたか。 9.原爆投下後、広島市はどのような対応をしてくれましたか。 10.世界は原爆から何を学んだと思いますか。 以上 | ||||
NO.(7) | 核実験続ける以上何も学んでない | 返信日:1998.9.30 | 返信内容 | 整理番号:00016 |
アクセスありがとうございました。 若い人たちが核問題に関心があることを知り、大変うれしく思います。 1.原爆が投下された時、私は爆心地から広島市の東南1.5kmまたは1マイル近く離れた ところに居ました。 2.何か青白いものが光ったように思えました。 3.原爆がさく裂したとき、何かピカッと光ったと思ったので、あわてて身を伏せましたが、もうその時は遅く、顔・両手脚は大やけどしていました。 4.熱線、爆風、放射能を受けました。 5.知人、友人の中にいます。特に、一緒に家屋疎開の後片づけをしていた友人の多く を失いました。 6.歯ぐきから血が出、血便が出、髪の毛が半分抜けました。やけどでまぶたが閉じませんでした。また、両手腕、指、ひざが曲がって伸びませんでした。疲労しやすく、小さな切り傷でも血が止まりませんでした。 7.非常に憎しみをもってアメリカを眺めていました。 8.原爆投下について事前に警告を受けていませんでした。 9.被爆直後、避難用のトラックや舟が出ました。しかし、その恩恵を受けたものは数に限りがありました。 10.世界は原爆からほとんど学んでいないと思います。もし原爆が人類にどんな影響を与えるか、つまり、その後遺症に苦しむ人々の生活を知っているのなら、実験できるはずがありません。それをやっている以上、何も学んでいないと言えるでしょう。 |
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NO.6 | 原爆投下の瞬間、何を思ったのか | 受信日:1998.4.22 | 国名: | 整理番号:00014 |
松原さんこんにちは。松原さんのホームページを拝見しました。私は核の問題について関心をもっています。 現在、学校のプロジェクトで、史上初めて投下された原爆について研究しています。松原さんはすばらしい情報を満載したホームページをお作りになりましたね。ここで一つぜひお伺いしたいことがあります。松原さんは原爆が落ちる瞬間を目撃されましたか?もしそうだとすれば、その“大量殺人兵器”が身に迫ってくるのを目にしながら、どのようなことが脳裏に浮かびましたか?お返事をいただければ、この上なく幸いです。 | ||||
NO.(6) | 「やられた!畜生!」と思いました | 返信日:1998.8.26 | 返信内容 | 整理番号:00014 |
核に関心を持ってくださってありがとうございます。 原爆が落ちてきた瞬間、「やられた!畜生!」と思いました。 あなたが私のような状況下にいたら、どう思ったでしょうか。お尋ねします。 |
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NO.5 | 原爆投下に本当に必要だったと思うか | 受信日:1998.3.26 | 国名:アメリカ | 整理番号:00011 |
私は、現在、学校で核戦争についての課題に取り組んでいます。このトピックについて、何か情報を教えてくれる人をインターネット上で探していました。あなたのプロフィールを拝見し、あなたが、1945年8月6日、史上初めて原子爆弾が落とされた日、広島におられたことを知りました。それはおそろしい経験であったに違いありません。 そこで、質問があります。原子爆弾やその他の爆弾を日本に落とし、何万人という無実の人々を殺すという行為が本当に必要だったと思われますか。もし同じような状況が起きたら、敵にも大量殺りくの爆弾を落とす、ということが起こると思われますか?この質問にお答えいただければ幸いです。繰り返しになりますが、これは学校の課題のためにおうかがいしています。 | ||||
NO.(5) | 「必要なかった」と思いました | 返信日:1998.9.30 | 返信内容 | 整理番号:00011 |
あなたがおっしゃるように、核兵器のもたらす悲劇さは、とうてい言葉では言い尽くせません。 私も多くの日本人が信じているように、あの原爆投下は必要なかったと思っています。参考に、ニューズウィークの原爆投下50年目の記事を読むことをお勧めします。まず、当時の日本国民が戦争を継続することを望んでいなかったことは、戦後の出版物からほぼ確かだったと言えます。当時の日本政府には、戦争を継続するための財政的な裏付けも、国民の意識をまとめる力もなかったようです。次に、日本政府は当時、ソ連政府に密使を送り、戦争終結への仲介を依頼していました。 広島、長崎の原爆投下によって、人類は核時代という「破滅の時代」の扉を開けてしまったのです。 核保有国がいま保有している核兵器は、アメリカ、ロシア、フランス、中国、イギリスの5ヵ国全体で3万数千発にものぼります。そして、それらの核兵器は、広島に投下された原爆の何百倍、何千倍もの威力があります。その破壊力は、広島の被害状況から推定すると、地球上の全人類を数度殺りくできるほどだそうです。ですから、戦争で再び核兵器が使われるようなことになれば、人類には絶滅しか残されていないのです。 そこには、勝者も敗者もおりません。加害も被害もありません。無があるだけです。その意味で、ヒロシマ・ナガサキは加害・被害を超えた悲劇体験であり、人類はヒロシマ・ナガサキから未来を生きるための教訓を学びとらなければなりません。 それなのに、世界はインド・パキスタンの核保有をきっかけに、再び核軍拡・核拡散の愚かな道を進もうとしています。その中で、イギリスが核軍縮の方針を打ち出してくれたことはわずかな望みですが、そのイギリスとて核兵器にすがる政策を放棄しようというのではありません。 私たちは、破滅と背中合わせの状況に置かれています。核兵器をこの地上から一掃しない限り、人類に明るい未来はありません。私はすでに60代半ばの年齢になり、原爆症のために思うように働けませんが、体のつづく限り核兵器廃絶のために頑張る覚悟です。どうぞ、みなさんも核兵器の恐ろしさを多くの人たちに伝えてください。 |
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NO.4 | 第2次大戦の質問受けつけてもらえますか | 受信日:1998.3.19 | 国名:アメリカ | 整理番号:00009 |
私は、カリフォルニア州・サンディエゴにあるポウェイ高校2年に在籍しています。現在、世界史の授業をとっており、今は第二次世界大戦について学んでいます。松原さんは、第二次大戦に遭遇されていますので、私の質問にいくつかお答えいただけないでしょうか。もし、その質問にお答えいただけるのでしたら、どうか私のメールあてにお返事をください。簡単にお答え頂けるような質問のリストを折り返し、お送りいたします。ご協力頂ければ、この上なくうれしく思います。 | ||||
NO.(4) | リストを送ってください | 返信日:1998.9.4 | 返信内容 | 整理番号:00009 |
アクセスしてくださり、有り難うございました。 私は、あなたのご質問に対してヒロシマの原爆被爆者としてお答えいたしますので、至急その質問リストをお送り下さい。 |
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NO.3 | 広島・長崎の生存者数は? | 受信日:1998.2.16 | 国名:アメリカ | 整理番号:00007 |
インターネットでリサーチ中に、あなたのホームページに遭遇しました。お力をお借りしたいことがあります。私は核兵器についての記録作品を探しています。現在のヒロシマ・ナガサキの生存者の公的な数を知りたいのです。この記録作成を、今後数日間で終わらせる予定であり、もし、その情報についてご存知であれば、是非お知らせいただきたく思っております。もし、ご存知ない場合は、どうしたら情報を入手できるか教えて頂けますでしょうか。 ご協力ありがとうございます。 | ||||
NO.(3) | 1998.3.31現在で、311、704名 | 返信日:1998.10.4 | 返信内容 | 整理番号:00007 |
お返事が随分遅れましたことをお許しください。 さて、現在の公的なヒロシマ・ナガサキの生存者数は、1998.3.31現在で、311、704名です。この生存者数は被爆者健康手帳を有する人をさします。 しかし、このほかにいろいろな理由があって、まだ手帳申請の手続きをされていない人がいます。 |
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NO.2 | 「貞子と千羽鶴」読み、ヒロシマに関心 | 受信日:1997 | 国名: | 整理番号:00005 |
まず、私はこのホームページをつくってくださったことに、お礼を申し上げます。おかげで私は、日本人から見た広島の原子爆弾投下について、今年の主要研究のテーマにしようと決心しました。 私は12歳の中学1年生です。私がこの問題を取り上げた理由は、私が3年生の時、「禎子と千羽鶴(づる)」という本を読んだからです。私は本当にその本を読むことができてうれしかった。そして、なぜこのようなことが一少女に起こらなければならなかったのか、不思議に思いました。彼女は、ともすると、私の友達であったかも知れないと感じました。 私は第二次世界大戦のことはほとんどわかりませんが、主要な軍事都市でなくて、ほとんどが市民であった広島のような都市になぜ原爆が投下されたのか、私には理解できません。私は歴史のある時点についての主要研究をしなくてはならないので、広島の原爆投下について研究することにしました。これは優れた選択であると思います。 何はともあれ、私はこの問題に関心を持ったものの、学校ではこの科目についてほとんど学んでおりません。私の父は日本にいる人々と多くの仕事をしています。父は日本人は非常に正直で、働き者だと考えております。 そこで、以下の質問について、一つだけでもお答えいただければ幸いです。 1.なぜ、アメリカ人は原爆投下を東京でなくて、広島を選んだのでしょうか。 2.あなたの父母、家族が原爆で生き残れたことを、あなたは幸運だと思いますか。 あなたのお友達の家族も生き残れましたか。 3.あなたがなさっておられるように、私に被爆体験談をしてくださったり、答えてくださる方をご存じでしょぅか。 私は間もなく、再びお便りをします。あなたが現在の広島と記念碑の写真・絵のいくつかをあなたのホームページに取り入れていただくことを希望します。 | ||||
NO.(2) | 日本を理解しようとする姿に感謝 | 返信日:1997.9.20 | 返信内容 | 整理番号:00005 |
あなたが私のホームページを通して、「日本人から見た原子爆弾投下の理由」について一生懸命学習し、日本を理解しようとしておられる姿に私はまず感動しました。私もこれから写真や絵の取り込みをして、新しいホームページを開設する計画を立てておりますので、お互いに理解し合い、平和の為に頑張りましょう。 さて、ご質問の「なぜ、広島に原子爆弾が投下されたか」について、広島平和記念資料館の説明文には次のように書かれてあります。 (1)都市の大きさや地形が原爆の破壊能力を実験するのに適当であった。 (2)戦争末期、東京をはじめ、日本の主要都市はアメリカの空襲でほとんど壊滅状態であった。 しかし、広島市は空爆による被害をあまり受けていなかったため、原爆投下後の破壊効果を確認するのに適していた。 (3)軍隊、軍事施設、軍需工場などが集中し、しかも無傷であった。 私もこれらの理由に納得できます。この説明文について、あなたのご意見・ご感想をいただければ幸いです。 |
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NO.1 | 戦争終結にほかにどの手段が | 受信日:1997.8 | 国名:アメリカ | 整理番号:00003 |
私は戦後生まれですが、真珠湾を訪れたり、第二次世界大戦についても、たくさんの書物を読んでおります。 私の質問は、 ・戦争終結のためには、核兵器の使用のほかにどんな手段がありましたか。 ・核兵器の使用のほかに何をなすべきだったでしょうか。 ・核兵器の不使用でどんな成果があったとお考えですか。 つぎに、あなたの同意が得られるか疑問ですが、お尋ねいたします。 ・日本は戦後私たちの支援で再建でき、より強力な国家となりました。 誤解しないでくださいよ。原爆投下以外の手段として何があったでしょうか。 どんなご回答でも結構です。頂ければ幸いです。 | ||||
NO.(1) | 「話し合い」できたのでは | 返信日:1997.8 | 返信内容 | 整理番号:00003 |
アクセスありがとうございました。あなたとの対話が始まったことを喜んでいます。さて、あなたのお尋ねの件について、次のようにお答え致します。 (質問) 戦争終結のためには、核兵器使用の他にどんな手段があったでしょうか。 (回答) 私は、戦争終結を早めるための原爆投下は不必要だったと思います。日本はすでに敗戦を認め、連合軍側(米・英・ソ連)のソ連を通じて、和平交渉を働きかけていました。その事実を米国は知っていました。1945年7月20日アイゼンハワー将軍は「日本に原爆投下の必要なし」とトルーマン大統領に進言しています。また、同年7月27日には、バード海軍次官は「日本に降伏の意思がある」とする根拠を持っていました。 もし、原爆の威力を当時の日本や世界に知らしめる必要があったのならば、人民が密集していない、無人島で実験するべきであったと戦後幾度も思いました。しかし、ある国の人たちは、アメリカの原爆開発を促進させたのは、日本の真珠湾攻撃だと言います。また、話し合いで解決されなかったために、原爆使用という手段に出たと考える人々もいます。 悲劇を再び起こさないためにも、まず戦争を無くさなければなりません。広島と長崎の原爆被害者は、核の悲惨さだけを訴えるだけでなく、すべての戦争を否定し、核兵器の無い平和な世界への道しるべとなるべきだと考えます |