2009年1月20日現在
1932(昭和7)年 | 8月31日生まれ |
1945年 | 旧制女学校一年生の時、爆心地から東南1.5キロメートルの鶴見町で、建物疎開の後片付け作業中に被爆。 |
1953年 | 大阪市立大学付属病院で合計12回の顔、右腕、両手指の手術を受ける。 |
1954年-1963年 | 社会福祉法人盲児施設「光清学園」の保母として勤務。 |
1962年-1965年 | 父、兄、兄嫁死亡。その後、3、5、9歳の甥(おい)姪(めい)3人を育てる。 |
1966年 | 広島平和文化センター局開設と同時に、8年間非常勤嘱託。 |
1983年 | 著書『原爆の絵アメリカを行く』 (ヒロシマを知らせる委員会編、日本放送出版協会発行)、ビデオ、その他。 |
1988年 | 乳がんで手術、5カ月間休職。 |
1993年 | (財)広島平和文化センターに27年間勤め、60歳で定年退職。以来、国内外で被爆体験の証言活動をする。海外では英語で証言も。 |
1997年 | ホームページ「美代子の部屋」英語版開設。 |
1999年5月 | 日・英語版ホームページ「ヒロシマの心」開設。 |
《海外での証言活動》
第1回 1962.3.10-7.29 | バーバラ・レイノルズ氏が企画した第1回世界平和巡礼 に 公募で選ばれ、5カ月間に米、英、仏、独、旧ソ連を含む欧米14カ国を訪問し、核実 験禁止を訴える。国連ではラルフ・バンチ国連事務次長に、また、ジュネーブでは 18 カ国軍縮会議代表に広島からのメッセージを手渡す。米国では、40日間で183回の集 会を持つ。 |
第2回 1964.4.16-7.4 | 広島・長崎世界平和使節団の一員として、欧米7カ国を訪問。 |
第3回 1982.4.10-6.12 | 第2回国連軍縮特別総会が開催された時、米国16州の29都市とカナダの1都市で、68回の「市民が描いた原爆の絵」展を開き、のべ11万人を超える人々に核廃絶を訴える。 |
《退職後の活動》
第4回 1993.10.20-12.15 | 米国10州の10大学及び高中小学校で計35回、約2,400人に被爆体験談を話す。(57日間) |
第5回 1994.3.27-4.2 | 広島日タイ友好協会の第6次訪タイ団に参加。バンコクのシンポジウム「永遠の平和」の会場で「市民が描いた原爆の絵」展を開く 。タイ人参加者200人、日本人35人。(6日間)(6日間) |
第6回 1994.6.27-12.22 | 米国11州の各都市で145回(学校49%、教会33%、集会18%)、約1万人に話す。(179日間) |
第7回 1995.4.15-5.17 | 米国3州の7都市で、4回の原爆被災写真ぽすたー展を開き22カ所で30回、約1,800人に話す。(33日間) |
第8回 1995.9.10-10.22 | 米・独・英国の小・中・高・大学と教会で37回、2,312人に話す。(43日間) |
第9回 1996.3.6-4.2 | ベルギーでは、国連機関が参加する国際平和会議で、被爆体験談を話し、その帰途ドイツ、オーストリアの中・高校、教会、戦争資料館で原爆被災写真ポスターを32回展示し、3,042人に話す。(28日間) |
第10回 1996.10.23-10.28 | 米国シカゴ市、シラキュウス市の小・中・高・大学院で6回、約980人に話す。(6日間) |
第11回 1997.10.4-11.8 | 米・加・独の中・高・大学で、大人も含めて原爆被災写真ポスター展を43回展示し、3,712人に話す。(36日間) |
第12回 1998.4.27-5.13 | 国連欧州本部(ジュネーブ)で開催された国際NGO主 催 のNPT再検討会議のための、第二回準備委員会で、ジョセフ・ロートブラッド・ ノーベル平和賞受賞者やダグラス・ロウチ・カナダ元軍縮大使らとともに、被爆体 験 談と核兵器廃絶の願いを訴えた。その帰途、ドイツ、オーストリアの中・高・大学 で、原爆被災写真ポスターや市民が描いた原爆の絵展を地元の教会の支援で 5回開き、 約370人に話す。(17日間) |
第13回 1999.5.6-5.17 | オランダのハーグ国際平和会議に参加し、新作のHP(日・英 語版)を紹介。 帰途ドイツに寄り、ハーグ及びドイツで8回、被爆体談を約535人に話す。(11日間) |
第14回 2000.5.21-6.18 | 国連ミレニアム・フォーラムが開催されるに当たり、国連 本部近くで原爆展を開催。デトロイト市周辺では、インターネット回線によるテレビ 電話遠隔授業を行った。帰途ドイツ、オーストリアにも訪れ地元の学校に配布する。 ビデオ撮影(英語版)をした。22回約1,100人に話した (29日間) |
第15回 2000.9.3-9.27 | 米国サンタバーバラ市において、広島・長崎原爆被災資料巡回海外展開催に参加。会場以外で、小・中・大学生に15回、約1,180人に体験談をする。(25日間) |
第16回 2000.11.17-11.24 | 米国南カリフォルニア地区の大学2校と中学1校で、被爆体験談をする。3回で約500人。(8日間) |
第17回 2002.9.6-9.12 | 同時多発テロから1年経過した米国で、「戦争犠牲者講演会ツアー」に参加し、米東部8都市(ニューヨーク、ボストンなど)を訪れ、教会、高校、大学で計9回被爆体験と平和へのメッセージを、約2,740人に伝える。(7日間) |
第18回 2003.1.3-1.9 | インドのハイデラバードのニザン大学において、「アジア社会フォーラム」が開催された。フォーラムの会場や近くの中・高・大学など計9か所で約2,750人に被爆体験談をする。(7日間) |
第19回 2003.9.14-9.17 | 米国アトランタ市のエミリー大学における「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」開催に参加。会場付近の小・中・大学で7回約1,160人に被爆体験談をする。(4日間) |
第20回 2004.11.22 | 米国のオハイオ州の高校生約100人とテレビ電話で第3回目の遠隔授業をする。 |
2004.12.07-2005.08.01 | 横断歩道を歩行中、交通事故にあい入院。腰の骨折と右足に酷い傷痕を残し、目下リハビリ中。 |
第21回 2006.03.26 | 米国ハーバード大学院院生63名が、日本への研修旅行で広島を訪れた際、被爆体験談をする。 |
第22回 2007.09.06-09.13 | 北極圏内のグリーンランド近海のクルーズで開催された第7回国際シンポジウム「北極:生命の鑑-宗教・科学・環境-」で約160人に被爆体験と柏崎原発事故への思いを話す。 |
第23回 2008.09.08 – 09.11 | 平和記念資料館館長と松原がオスロのピースセンターを訪問し、今後について語り合う。ノルウェーのヴォルダ大学主催の原爆展及びセミナーに参加し、4日間で市内の小・中・高校・大学生・一般人約700人に爆体験談をする。セミナーでは、ノーベル協会会長、ノーベル委員会(平和)委員長も参加され、私たちに感謝の言葉と激励を贈られた。 |
退職後から2009.03.31現在まで(約16年間)欧米、アジア等11カ国で計506日間滞在、413回、約35,800人に原爆写真ポスター展等で被爆体験講話をする。