「ヒロシマの心を伝える会」代表
平成21(2009)年1月21日
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昭和7(1932)年8月31日生まれ。昭和20年8月6日、旧制女学校1年の12歳のとき、爆心地から東南 1.5キロメートルの鶴見町で学徒動員の建物疎開作業中に被爆。戦後は広島平和文化センターに勤める一方、がんの手術を受けるなどさまざまな被爆後遺症や差別と闘いながら、被爆体験講話などを通じて核兵器廃絶を訴える。
昭和37(1962)年3月、米のバーバラ・レイノルズ夫人が企画し同行した世界平和巡礼に一般公募で選ばれ、5か月間に欧米14か国を訪問。国連では、ラルフ・バンチ国連事務次長とジュネーブの第18か国国連軍縮会議参加国の各代表に広島市民の核実験反対を願うヒロシマのメッセージを手渡した。アメリカでは、40日間で183回の集会を持つ。
昭和39(1964)年4月、欧米7か国を訪問。また、昭和57年4月第2回国連軍縮特別総会開催中には、バーバラ・レイノルズ夫人とともに2か月間アメリカで「ヒロシマを知らせる委員会」主催の「市民が描いた原爆の絵」を展示しながら68回の会合を開き、のべ11万人以上に核廃絶を訴える。
平成5(1993)年3月31日、27年間勤めた広島平和文化センターを定年退職。以来、毎年2回程度海外で被爆体験を語る。
平成8 (1996) 年4月、大学生・教師などの若い世代を中心とし平和学習グループ「ヒロシマの心を伝える会」を作り、広島を訪れる国内外の教育者や学生に被爆体験談や広島平和公園内の碑巡り案内などを日本語・英語で行っている。また、広島を訪れる米国公立学校の教育団体(30人)などに広島市立高校の授業参観を設け、歴史教育の在り方、平和についての日米教師の意見交換の場を作っている。
平成9(1997)年7月、ホームページ「美代子の部屋」英語版を開設。
平成10(1998)年11月、インターネット回線を使ったテレビ電話による遠隔授業で、被爆体験講話を国内の学校と実施。
平成11(1999)年5月、被爆者9人の体験談、慰霊碑めぐり、平和記念資料館の案内、原爆投下・核問題についてのアンケートなどを載せた日・英語版ホームページを作成。同年オランダであったハーグ国際平和会議に参加し、被爆体験談のほか、このホームページを世界の参加者にアピールする。その後も、メールを通して海外の人々と意見交換をしたり、核兵器の廃絶を目指す「アボリション2000」運動の署名活動を行ったりして、恒久平和の実現を目指し活動中。
平成12 (2000) 年5月21日から6月18日まで、国連本部近くでミレニアム・フォーラム開催中、国連NGO軍縮委員会主催の「原爆と人間展」の資料展示に協力し、体験を語る。また、デトロイト市周辺では、米国内で3校同時にインターネット回線を使ったテレビ電話遠隔授業をする。同年、広島とデトロイトの学校を結び、初の海外との遠隔授業を行う。
平成13(2001)年9月、被爆者の高齢化により、被爆体験を海外で伝えることが年々困難になる状況をふまえ、松原の被爆体験の動画と音声をホームページで公開したほか、そのほかの被爆者の音声も併せて加える。
平成14(2002)年9月、米国ニューヨークでの同時多発テロ1周年に当たり、米国で企画された戦争犠牲者講演ツアーに参加する。
平成15(2003)年1月、インドの南部・ハイデラバードで開催された「アジア社会フォーラム」(参加者2万人)や周辺地域の学校で、被爆体験を語る。
平成15(2003)年9月、米国アトランタ市のエミリー大学で主催した、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」に参加する。4日間で、市内の小・中・大学を訪問し、7回で、約1160人に被爆体験を語る。
平成16(2004)年11月、米国のオハイオ州クリーブランド市近郊にあるレイクサイド高校と第3回海外遠隔授業を行なう。学生や学校関係者約100名が参加。1時間では短かったことと、地元の他校からも再度遠隔授業の申し入れがあったが、時差と松原の体力に限界を感じ、キャンセルした。間もなく交通事故にあい、右足を損傷し、8カ月の入院生活をしたので、米国との小・中学生との遠隔授業計画は中断した。
平成18(2006)年4月、米国のハーバード大学ケネディ行政大学院の院生63名が、日本を学びに来日。広島にも足を延ばされ、その際に被爆体験を語る。
平成19(2007)年9月、北極圏内のグリーンランドで開催された第7回国際シンポジウム「北極:生命の鑑-宗教・科学・環境-」に参加し、約160名の前で被爆体験を語る。
平成20(2008)年9月、ノルウェーのヴォルダ大学が開催した原爆展と核兵器廃絶ためのセミナーに参加。4日間で、市内の小・中・高校・大学生・一般人約700人に被爆体験談をする。セミナーでは、ノーベル協会会長、ノーベル委員会(平和)委員長も参加しておられ、私たちが行っている平和活動への感謝と激励の言葉を贈られました。
広島平和文化センター退職後の平成5年から現在までの16年間で、欧米、アジア等11カ国で計506日間滞在、413回、約35,800人に原爆写真ポスター展等で被爆体験講話をする。
著書に「原爆の絵アメリカを行く」(ヒロシマを知らせる委員会編日本放送出版協会発行 1983年)、同ビデオなどがある。
松原美代子の被爆体験(文字版)